熊本県におけるノーマライゼーション [一般質問(1998年6月)]
○議長(八浪知行君)休憩前に引き続き会議を開きます。
平野みどり君。 〔平野みどり君登壇〕(拍手)
○平野みどり君
おはようございます。
まず、閉会中に大西靖一前県会議員が他界されましたが、心より御冥福申し上げます。
私は、統一会派県民クラブの平野みどりでございます。 昨年末の熊本県議会議員補欠選挙におきまして議席をいただき、やがて半年になります。今回、まだ経験の浅い私に質問の機会をいただき、先輩議員の皆さん及び県執行部の皆さんに御礼申し上げます。さらに、私が車いすで質問できるよう、壇上の改修に御努力いただいた議会事務局の皆様にも心より感謝いたします。登壇に当たり御声援いただきましたが、最後まで温かい御声援をいただきますよう願い申し上げます。
今回初めて質問に立ちますが、私のよって立つところであります分野について質問をさせていただきます。
熊本県のやさしいまちづくり事業についてお伺いいたします。
私ごとではありますが、障害を持つ身となりまして本年は十年目に当たります。このような年に、当事者運動を進めていた立場から、障害を持つ議員として新たな活動を展開することになったことを感慨深く思っております。そして、私の登場が、政治の分野だけでなく社会のあらゆる分野に、障害を持つ仲間たちが登場していく新たなきっかけとなることを願うものです。
私は、三十歳のとき、病気のため障害を持つことになりました。人生の途中で障害を持ち、それまでの生活様式が一変いたしました。そのことによって、障害ゆえにできなくなることが今の社会にはたくさんあることに気づかされました。障害のみに注目し、あたかも障害そのものがその人の全人格であるかのようにみなし、何らのケアもなく、 社会のあらゆる分野から排除したり不利益をこうむらせてきたとすれば、それは大変な誤りであることを私たち一人一人が再確認する時代になっているように思われます。私は、自分の体験や障害を持つさまざまな仲間たちとの出会いにより、そう強く確信するに至りました。
折しも、私が障害を持って生きてきたこの十年は、旧来の日本の福祉施策を見直し、システムを再編しようといううねりの始まりでもありました。第二次世界大戦後、福祉施策は入所施設の整備等に力点を置きながら進められてきましたが、一九八一年、国際障害者年、次いで一九八三年からの国際障害者の十年によって、地域社会での自立的な生活を目指した施策が一層重要視されるようになってまいりました。
御承知のとおり、ノーマライゼーションとは、障害のあるなしにかかわらず、またどのような種類や程度の障害を持とうが、ともに地域の中で活動し、普通の生活を営めるのが当たり前の社会であり、そういう社会をつくろうという理念です。これは、一九九五年に政府の障害者施策推進本部において策定された障害者プランの根幹をなす理念でもあります。
すなわち、今や福祉のキーワードは、当事者の自己決定と自己選択に基づく地域での自立支援であると言えます。 二〇〇〇年からスタートする介護保険制度においても、高齢の皆さんも家族や近所の人たちとのかかわりの中で、最後まで地域社会の一員として生活を営めるよう、家族任せではない地域での介護体制を含めたサービスの提供がうたわれております。ここでもやはり当事者の自己決定と自己選択が基本でなければならないと考えます。
さて、熊本県におきましては、一九九一年に福島知事が 就任されてから、それまでの県の施策から大きく踏み込んだ共生社会へのプロローグとも言うべきやさしいまちづく り事業が展開されてきました。私ごとではありますが、ア メリカの障害者運動を学ぶため渡米していたちょうどそのとき、現地で福島知事の就任を熊本の仲間から聞き、何かが変わりそうだ、そういう大きな期待に胸を膨らませたことを覚えております。
その後米国での経験を通して学んだ考え方、つまり、障害を持つことは生活上の条件を持っていることではあるが、あくまで市民であり、市民としての権利や本来持っている力を取り戻そうという理念のもと、私たちは障害を持つ市民としての当事者運動を展開してまいりました。
そして、熊本県でも、時を同じくしてやさしいまちづく り事業が推進されていました。この間私たちの発言や行動が比較的自然に社会に受け入れられてきたのは、やさしいまちづくりが少しずつ県内に浸透してきたという背景があることは疑う余地もありません。
やさしいまちづくり事業が進められる中、県営施設や市町村施設など公的施設を中心に、私たちが利用できる施設がふえてきました。例えば、ここ熊本県議会も、車いすの人などは、階段のため、県民でありながら傍聴席にも入れない時代がありましたが、五年前エレベーターが設置さ れ、傍聴できるようになりました。そして、今回私のように車いすを使用する者も政治参加が可能になっています。
また、日常生活においても、デパート、ショッピングセンター等、高齢の方や障害を持つ人が安心して利用できるような民間施設も着実にふえてきました。道路も、段差解消や路面の改良など、幹線道路を中心に整備が進んできたことも事実です。
さらに、注目に値するのは、やさしいまちづくり事業が点と点を結ぶ交通の面にも適用されてきたことです。現在、市営、民間に導入されているスロープバスやノンステップバス、全国に先駆けて熊本市で走り出した段差のないノンステップ電車などは、高齢の方や障害を持つ人も利用できる公共交通の実現に向けて大変意義のある取り組みであり、その先見性には全国から注目が寄せられています。
このようなやさしいまちづくり事業が、福祉をその担当部署だけに任せるのではなく、部署を超え、横断的に取り組まれてきたということ、さらには県民や民間への広く粘り強い啓発も行われてきたという点で、地道に事業を展開してこられた福島知事を初めとする職員の皆さんに率直に 敬意を表するものです。
このことを十分承知しながら、二十一世紀を目前にする今、単に福祉という枠組みにとらわれず、共生社会を実現するためのやさしいまちづくりに向けて、福島知事にさら なるリーダーシップをお願いしたいのです。
障害を持つ人や高齢の皆さんは、ただ単に福祉施策の対象ではなく社会的不利益を受けている人たちであるということを、県民一人一人が十分認識できる力をつけていくための県の取り組みに大いに期待いたします。そして、そういった力の集合体が成熟した民主的社会であることを確信するものです。
本年は、やさしいまちづくり事業について中間評価が行われると聞いておりますが、八年間を振り返っての知事の思いと今後の取り組みについてお聞かせ願います。
〔知事福島譲二君登壇〕
○知事(福島譲二君)
県の総合計画「ゆたかさ多彩『生活創造』くまもと」が、躍動するくまもとをつくる確かな基盤づくりと同時に、優しいくまもとづくりということを二つの大きな柱といたしております。特に、やさしいまちづ くり、優しいくまもとづくりというのは、県の計画としては極めて特徴を持った分野ではないかなと思っております。
ただいまの御質問の中で、そのようなやさしいまちづくりが少しずつ県内に浸透してきたと評価をいただきましたことは大変うれしいことでございます。私も、県政をお預かりいたしましてから、以来いろんな出来事がございましたが、中でも、障害を持った方が、最近少し元気が出てきたとおっしゃってくださったことは大変うれしい言葉でございました。また最近は、他県に住む重度障害を持った方が、熊本に単身で移住をしてこられたという事実があります。今までおった県では対応できない対応を熊本県がしてくれるという期待を持っておいでをいただいたようでありまして、多少これは過大評価かなとじくじたる思いがいたしますが、確かにハード面では随分とよくなりつつあるのではないかなと思っております。しかしそのことは、その気になって予算をつぎ込んでいけば、これはむしろ当然のことでありまして、肝心なことはソフト面ではないかな、 そして、それはまだまだ道遠い困難な事業ではないかなと感じております。しかし、一歩ずつでもこれは改善していきたいというのは私の気持ちであります。
なぜこのようなことを申し上げますか、私自身いまだ反省することがしばしばだからであります。私はかつて、体育大会、運動会等に参りましたときに、最初のごあいさつの中で「健全なる精神は健全なる身体に宿る」とよく言われております。その言葉を引用して平然として使っておりました。あるとき、新聞の投稿欄に、いやんなっちゃう、 健常者は一体何を考えているんだろうというテーマで、障害を持った方の投稿があるのを拝見いたしました。健全な精神は健全な身体に宿るというのであれば、障害を持った体を持った人には健全なる精神が宿ることはできないということかということであっただろうと思います。大変愕然といたしまして、このことわざを辞典で引いてみました。 原典は、ローマの詩人ユウェナリスという人の風刺詩から出た言葉だそうでありますが、その本来の意味は、健全なる身体に健全なる精神があるように祈るべきであるという風刺詩を、翻訳の誤りというか、いささか誤解を受けるような形での格言になってしまったところに問題があったようであります。
しかし、このような非常に障害を持った方々を傷つけるような言葉というのは、今の格言だけでなく、往々にして、片手落ちとか、あるいは足切りであるとか、めくら蛇におじずであるとか、いろんな場面でまだ通常日常用語として使われ、不用意に障害を持った人たちの気持ち、誇りを傷つけることが現実にあるのではないかなという思いを深くいたしております。
私が、そもそも障害を持った方々の問題に重点を置いていきたいと感じましたのは、一つは、障害を持った方、現実に今持っておられる方だけの問題ではなくて、これは、 高齢化社会の中で高齢者がどんどんとウエートを増してくる、そういう高齢者の方々の問題でもあるという意味で、 これは県民すべての問題だという気持ちから取り上げてきたわけでありますが、そんな中で、知事就任早々、障害を持った方々に先進地の視察に数年間行っていただきました。そして、お帰りになった後の報告を都度伺っておりま した。そんな中に、先進地域、大体アメリカに行ったケー スが多いわけでありますが、当然のことでありますけれども、地下鉄に乗る、あるいは日本でいえばJRに乗る、バスに乗る、そういったときに、リフトつき、いつでも気軽に乗ることができた、地下鉄にもエレベーターでおりていくことができた、このようなハード面での非常に進んでおることの御報告があったのは、これはもう当然予期したことでありましたが、そんな中に、毎年、そのようなリフトつきバスに乗るとやはりどうしても多少時間がかかる、しかし、その間、バスに乗っておる人も、また並んで待っている人も、いささかも嫌な顔をする人が一人もいなかった という御報告がありました。そのような御報告をされるということは、果たして日本では、あるいは熊本では、同じようなことがあったときにそのような温かい目で皆さんが一人残らず見てくださるかどうか、その点に恐らく疑問を感じておられたからそのような報告をなさったのではないかなと感じました。 いささかでも不愉快な思いをさせることがあってはならないと思っております。往々にして、障害を持った方々がかわいそうと思われることは決して本意ではないということをしばしばおっしゃるわけでありますが、そういうことではなくて、お互いに一人の人間として尊重し合うという、そのような気持ちを持ち合うことが何よりも大切なことではないかなと感じております。
県下では、現実に障害を持った体で二人分、三人分活躍 していらっしゃるたくさんの皆様方がおいでであります。 しかも、そのような方々が、そのような運命を神から与えられたものとして、障害を持ったがゆえに、そうでなければ味わうことのできない世界や経験に触れることができた、このことをむしろ率直に喜んでいらっしゃる、そのような方々がたくさん頑張っていらっしゃるということを見ましたときにも、私は、そのような障害を持った方々の活動ぶり、お気持ちというものを健常者の皆さん方もしっかりと理解をして、そこに初めて共生をしていかなければならないという気持ちが沸き上がってくるのではないかなと思っております。
障害の問題は、本当に、現在障害を持った方々だけの問題だけでもなく、また福祉面からだけではなくて、広く差別感を撤廃しなければならないというような意味合いにおいては、現実に、大変残念なことでありますが、いまだ残っておる同和地区に対する差別とかあるいは女性差別を撤 廃しなければならないといったような問題とつながる問題ではないかなと感じております。
御質問の中にも、単に福祉という枠組みにとらわれずに、共生社会を実現するためのやさしいまちづくりという観点からの御質問をいただいたと思っております。
障害を乗り越えて県議会の議席を得られました平野議員の御活躍を私も心から期待をする次第であります。また、 これから、本当に差別のない、お互いにお互いが一個の人間として尊重し合う、それが本当の意味での基本的人権の尊重であり、民主主義の基本として、もっともっとお互いに考えていかなければならない大切なテーマでないかなと思いながら、やさしいまちづくり、優しいくまもとづくりに向けて、今後とも全力を尽くしてまいりたいと考えております。