オレゴン便り(4)「障害」も子どもの多様性 [視察報告]
昨日は移動が多かったせいか、眠気が襲い、日記を書かずに朝になった。地元のコミュニティーセンターに、ユージーン市があるレイン郡の地域生活支援を行っている団体の職員や、貧しい人や障害のある人に無料で法律相談やサポートを行う機関の弁護士、自立生活センターの当事者の理事たちが集まってくれて、ユージーン市での取り組みを聞いた。詳細はここには書ききれないので、報告は別途にしたいと思う。
まさに、日本も施設から地域生活に移行しつつある大事な時期なので、様々な取り組みの光と陰については、直視しなければならないと感じた。一から十までアメリカが素晴らしいとはそもそも思っていないが、それでも市民共有の認識として、「どんな障害を持っている人も、誰もが地域の中で暮らすのが当たり前」が定着していることの心強さを感じる。どうして地域の人たち(コミュニティー)にそんな意識が根付くのかと聞くと、「法律が通り、その運用が進むと市民の意識は変わる」と、法律や条例の効力を力説していた。
午後、市内の一般の小学校を訪れた。600人ほどの生徒のうち、障害など特別な教育的支援が必要と認識され、IEP(個別教育プログラム=学校、生徒の保護者、医療や社会福祉などの専門家などによる個々の生徒についての会議と教育計画)が持たれている生徒が、100人以上と聞いた。なんと6分の1!確かに、ユージーン市の障害児への進んだ教育支援を選択している親も多いらしいが、「障害」の捉え方も多様で、支援も丁寧なことに感心した。
私たち10人は3つのグループに分かれて、クラスを見学させてもらった。私が入ったクラスは4年生。全盲の男の子アベリンには、エイド(Aid=支援教員)と呼ばれるユージーン市教育区(School District)から派遣されている先生が横にいて、彼のサポートをしていた。丁度、学習の習熟を見る30問くらいの掛け算のテストが行われていた時だったが、アベリンは点字の答案を素早く指で読みながら、横にいるエイドの先生に小声で答えを伝えていた。点字を打つ装置も卓上におかれていたが、まだ彼は点字を勉強中なので、合理的な配慮として先生に答えを伝えるというやり方がとられているとのことだった。
エイドの先生によれば、「アベリンとは入学以来一緒です。恐らく高校くらいになると、普通のクラスで、彼も殆ど一人で出来るようになるでしょう。まだ点字も覚えなくてはならないし、(彼の傍らにあった)教科書を音声で読むこの装置も、使い始めたばかりで、これから慣れなければなりません」とのこと。子どもたちとの関係はと聞くと、「常にアベリンに気を配ってくれる子どもたちもいれば、無関心の子どももいます。でも子どもってそういうものですよね」統合された環境では、障害を持つ子どもも多様性のある友だちたちの一人と、子どもたちは自然に思えるようになる。だからと言って、好き嫌いや関心の濃い薄いはあって当たり前だろう。そういう意味では、ここには自然な子どもたちの育ちがあると感じた。
また、手話を学ぶためのリソースルームにも案内され、3人の子どもたちとも会った。彼らはその後、各自の教室に移って、担任の先生とその横に手話通訳の先生がついている環境で、障害の無い子どもたちと一緒の授業に入っていった。また、重度の心身障害を持つ子どものクラスでも、彼女の横にはエイドの先生がいて、学習を補佐し、身体の状況を見ていた。なんとも嬉しくなる時間だった。私たち一行は、皆この環境を羨ましく思い、いつか日本でも実現したいと強く持った。実に嬉しい2時間だった。
アメリカでは、障害を持つ子どもも統合された環境で教育を受ける権利を持つことを唱った障害児教育法が既に確立されている。そして、人的な支援、教材や支援機器も含めて、必要な支援も保障されている。もちろん教員を始めとして、支援スタッフなども、法律に基づく教育を行う技術や手法も勉強している。日本では、遅まきながら、特別支援教育が始まりつつあるが、重い障害を持つ子どもの新たな選別と隔離によもやならないよう、アメリカを始め多くの国で当たり前になっている「選択は親にあり、統合された環境での教育が基本であること」を改めて確認しておきたい。