市長選(7)成熟した福祉社会 [みどり日記]
札幌での第6回DPI世界会議の大きなテーマは、国連での「権利条約」の制定であり、国内的に言えば、現行の何ら権利性を唱っていない障害者基本法に変わる、「障害者権利法」あるいは「障害者差別禁止法」の制定です。女性差別撤廃条約、子どもの権利条約など、国際的な条約の実現が、国内法の整備に大きな影響を及ぼしてきたことはご承知の通りです。そして、最後のマイノリティーである障害者の権利の成文化となります。
さて、宮城県の浅野知事は、昔から、福祉で地域の力をつけると明言していますし、長野県の田中知事は、いよいよ500名規模の県の収容型知的障害者施設の定員を、150名まで減らすという方針を打ち出しました。つまり、約350名の人たちが、地域で暮らしていくためのホームヘルプサービスやグループホームや生活支援センターなどの仕組み作りに本気で取り組むそうです。不安を口にする親たちに、「親御さんの元に返すなどの迷惑は、一切かけません」と言い切りました。施設で働いていた職員たちも、施設の中でなく、地域の中で仕事をすることになるだけで、首を切られるわけではありません。
12年、障害を持つ当事者として生きてきて、確かに高齢化への対応に呼応して、バリアフリーの進展など、徐々に私たちの生活環境は整ってきていると思います。しかし、障害を持つ人が等しく、その自己決定を自己選択による生き方、生きる場を保障されてきていると言えるでしょうか?知的・精神(病院収容)、身体の障害を持つ人たちが、今だおおよそ50万人という規模で、施設や病院の中で生きている日本の現実は、世界を驚かせるに十分です。
札幌に集まっている世界各地、日本各地からのリーダーたちは、そういった社会と切り離された生活から脱出して、地域で暮らすことを実践し、仲間の支援活動をスタートさせ、自らそれを仕事にしたり、行政職や研究者など、様々な仕事を手にしてきた人たちです。まさに、地域で消費者や市民として、「機能し貢献する」存在です。
さて、今の熊本市の「福祉や教育は評価できる」とおっしゃる市民の方に、正直言って出会ったことがありません。小出しのばらまきの福祉に、未来があるでしょうか。施しや慈悲の対象と思っているのなら大間違い。ビジョンを持たない福祉や教育施策に、市民は困惑しています。今求められているのは、どんな障害を持つ人も市民として機能してもらうための、環境整備に他なりません。たとえば、重度の心身障害を持つ人も、地域で生きることにより、周りに支援をするための仕組みができ、雇用が産まれます。
そのような環境整備は、NPOなど市民団体や当事者団体との連携や信頼関係なくしては、不可能です。「障害福祉で国づくりを」とは、前出の浅野知事の言葉ですが、少なくとも、成熟した市民社会にとっての大きな試金石であることは間違いありません。
議員がらみの福祉施設(児童・高齢・障害)が、障害者を喰い物にしたり、囲い込んでいる現実にメスを入れることも含め、様々なしがらみとの決別なくして、新しい本物の福祉社会は創れません。幸山さんに期待するのは、世界の流れ中にある、こう言った福祉への展開だと、世界会議の場で改めて思いました。