子どもの心の闇 [みどり日記]
佐世保市で小学6年生の女の子が、同級生を学校で刺殺した事件は、日本国中に衝撃を走らせた。加害者も被害者もそれぞれが未来のある子ども。もちろん被害者の未来は完全に閉ざされた。そして、加害者である子どもは、これから重い事実と隣り合わせで生きていかなければならない。悲しすぎてやりきれない。
思えば小学校6年の頃、私も楽しい時間を過ごした記憶はない。軍国少年から脱しきれず、人権感覚の無い担任の、理不尽な言動や体罰に、私たちはビクビクしながら学校に通っていた。今だったら大問題だろう。「早く中学校に行きたい」と毎日思いながら暮らしていた。更に、女の子同士の微妙な人間関係も私を疲れさせていた。それでも学校を休むことはなかったし、好きな音楽や読書で、心を紛らわせていた。ちなみに、最悪な小6時代だったためか、中学時代はとても楽しく過ごせた。
さて、現代の子どもたちは、私が育った頃とは比べものにならないくらい複雑な社会の中に生きている。価値観が多様なことはいいのだが、基本的な善悪やマナーすら、家庭で身につけさせることは、今は難しいようだ。また、日本ほど、醜悪で低俗な情報が子どもの目に触れる範囲で行き交っている国も無い。メディアから発せられる情報は、量においても質においても、大人と子どもの境なく、まるで泥水が洪水のように押し寄せている。もはや表現の自由を超えている。主要紙ですら、読むに耐えない低俗な週刊誌の見出しを広告掲載しているが、子どもたちに「新聞を見なさい。社説を読むように」と言いながら、一方、こんな見出しも目にさせている矛盾を、大人社会は真剣に考え直さなければならない。
また、子どもの遊びも変質している。私たちの子どもの頃は、外で遊んだり、トランプをしたりだったが、甥たちは、テレビゲームにどっぷりつかって育っている。恐らく、ゲームの中で死んだキャラクターが、また生き返るというバーチャルな世界と現実社会が交錯しているだろう。加害者の女の子が、被害者に「会って誤りたい」と言ったそうだが、それができない現実を自覚できているだろうか。
日本に限ったことではないと思うが、IT化は柔らかな子どもの心に着実に影を落としている。子どもたちがホームページを立ち上げるということは珍しくなないが、その使い方や情報の行き来については、危険が常につきまとう。私もHPに掲示板を作ろうかと思ったが、周囲から止めた方がいいとアドバイスを受けた。匿名性故に、誹謗中傷の格好の場所になってしまうからだ。
心の教育が大切だとして、教育界では様々な取り組みが行われている。子どもの心が掴めない親を一方的に責めても仕方ない。もはや、教育界だけでなく、国全体で、子どもの育ちについて、科学的、多角的に論議することが必要だと思う。それにしても、やりきれない事件だ。