ビジョンが求められる熊本市の障害福祉 [みどり日記]
1980年代後半、重度の障害を持つ友人は、大学前で行き交う学生にビラを配り、介助ボランティアを求める毎日だった。生きるための排泄、入浴、食事などの介助を、まだ行政が保障しておらず、学生ボランティアに頼らざるを得ない状況が長く続いていた。わずかに派遣される公的ホームヘルパーの中には、「地域でこんな暮らしをするより、施設に行かないのか?」と高圧的な人もいて、自分の居場所を地域に求めて、ノーマライゼーションの実践をしようと模索している重度障害者の思いと、重なる人は少なかったそうだ。
そのうち、地域での暮らしを求める仲間が少しずつ増え、基本的な介助を保障するのは行政の責任であるという考えの下、熊本市当局と交渉を重ね、「全身性障害者介助人派遣事業」等も実現させていった。そして、善意のボランティアではなく、自分で選んだ介助者に、責任ある仕事の報酬として、介助料も支払われるまでになった。明日の介助者が確保できているかを心配する日々が解消され、安心して日常を送ることができるようになると、当事者としての経験や立場を、新しい福祉のまちづくりに活かしていく活動を、行政や他団体との連携により一層大きく展開していくことができた。そんな重度の障害を持つ仲間たちが、ヒューマンネットワーク熊本の屋台骨を支えている。
そして、昨年4月から、これまでの措置制度から、選択と自己決定を基本にする支援費がスタートし、支援費を使って地域で暮らせる人がもっと増えていく道筋が見えてきた。実際、身体障害者や知的障害者の支援費は伸びて、これまで眠っていたニードが開拓されてきた。ところがである。熊本市はこの伸びを “悪しきこと”とでも思っているかのように、居宅サービスに関する支援費支給量を大幅に削減する決定が、多数報告されている。これでは、折角地域で暮らし始めた障害を持つ人たちに、「施設へ戻れ」、「親や親戚に介助してもらえ」と言っているようなものだ。支援費が伸びたことは、むしろ地域移行が進んできたことと喜ぶべきだ。
確かに、財源の確保が不確かなまま、厚労省が支援費制度をスタートさせ、それに加えて三位一体の国庫補助金カットが激震を起こしていることは事実だ。しかし、自治体としてはそのことによる混乱と苦悩を、当事者の生活実態を含めて、厚労省にこそぶつけていくべきであって、地域福祉が具体的に進みそうな今、後退させることに心血を注ぐのは本末転倒ではないか。もちろん、熊本市の危機的財政状況は理解している。しかし、数字だけを睨みながら、他部門と同じように一律にシーリングしていこうとするならば、弱い人たちを切り捨てていく福祉と言われても仕方ない。今年度、財政課長が横滑りで、障害福祉課長になっていることは、「カットを前提に」というメッセージなのだろうか。
むしろ、施設から地域へという全国的な流れの中にありながら、平成15年と16年で総額3億円の市費を投じて、今どき新規の知的障害者入所施設(明徳町)を作るなどということの方が、時代に逆行している。しかも福岡県の社会福祉法人が、熊本県の自治体において設置することが認められたということで、全国的にも失笑を買っているようだ。熊本市の障害福祉施策も今が踏ん張りどころだと思う。これまで通りの福祉観と仕事のやり方では、難局は乗り切れない。グローバルな視点と時代を見据えたビジョンを打ち出すことが何より必要だ。