県教委の不祥事への認識を問う [みどり日記]
どこまで続くのかと思う、教職員の不祥事。朝日新聞が、情報公開条例によって開示された情報をもとに報道した、県立高校の非常勤講師による生徒への暴行事件を、県教委は発表していなかった。理由は、非常勤講師は、公務員にあたらないためだそうだ。一体この認識はどこから来るのだろうか。
本採用の教職員であれ、常勤職員であれ、非常勤職員であれ、期間の差はあっても、県との契約により、子どもたちへの公教育にあたっているという点では、全く変わらない。子どもたちに、「あの先生は非常勤だから・・・、常勤だから・・・」と言って説明がつくわけではないし、教育内容が変わるわけではない。県教委の責任において、税金を使って、仕事にあたらせているという点では、「公務」を遂行しているのだから、その公務中の不祥事が発表されないというのは、県民の理解を得られるものではない。
さて、この不祥事の内容については、呆れてものが言えない。いくら学習態度が悪いからといって、トイレに監禁して正座させて暴行し、首まで絞めてみせるなどは非道としか言えない。指導の域は当然超えているし、暴力や威嚇に訴えることでしか、教育できないとすれば、教育の場から去ってもらうのは当然だ。
常々、教育現場での暴力への認識の甘さを危惧している。「行き過ぎた”体罰”」などという表現を使うことも、もう止めにすべきではないか。「体罰」という言葉の持つ、教育的なニュアンスは、人々に寛大な解釈を許容させてしまう。ところが、学校を一歩出ると、一般社会では「体罰」ではなく、「暴力」であり「暴行」である。会社などの組織においても、上司が部下に指導する際に、力による攻撃が用いられれば、「暴力行為」となり、容認されるものではない。
最近県教委が発表した教職員による体罰では、今回とは異なり、病院での治療を要するなど、生徒に怪我をさせているケースもある。刑事事件にも値するが、その割には処分が甘いと思う。もちろん、県立高校の職員がかかわったメールを使った猥褻な事件は、品性を問われ深刻ではあるが、こちらが懲戒免職で、生徒への暴行が停職程度なのかと、そのバランスの悪さが気になる。
非常勤や常勤講師による不祥事は表に出てこなかったということが今回分かったが、そうならば、教育現場でのセクハラ、児童虐待、暴力はまだまだ氷山の一角なのかと、暗たんたる思いになる。事実、いくつか洩れ聞こえてくる。
高度経済成長を経験した国においては、様々なひずみが社会の各方面に現れるという。商業主義は、子どもをも商品、消費者として、無節操に展開している。それに伴い、子どもやその親たちの考え方や行動や価値観も、著しく変化しており、教職員は極めて難しい時代に、教職という仕事にあたっている。その点は十分理解しているし、ストレスは多いはずだ。ならば、教職員の小さなつまづきや悩みが、大きなストレスとならないように、教員同士の横のつながりや支え合いが深まるような労働環境を創ることを、県教委は責任を持って進めなければならない。教育への信頼回復は、何より、学校という場の風通しをよくすることから始めるべきだと思う。