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「教育の日」で何が変わるのか [みどり日記]

県退職校長会が「教育の日」制定についての請願を県議会に提出したのは、昨年の9月議会だった。請願文には表されていなかったが、「教育基本法改正」とか「道徳教育の徹底」などが意図された「教育の日」をという県もあったので、潜在的意図はそこにあるように思った。県民クラブや公明党などは、制定そのものに反対はしないものの、もっと県民を巻き込んだ議論が必要だと考え、請願の採択ではなく継続を主張した。ところが、県議会は自民党がYESなら通ってしまうので採択となった。

本県では、後をたたない不祥事に対して、不祥事対策委員会が設置され、有識者や教育関係者をメンバーにスタートした。その中では、個々のケースを通じた社会的、科学的検証が必要だと委員からも指摘が出ていると聞く。昨年11月に教育長が、全教職員の“保護者”や“家族”に出した“手紙”には、教育長の嘆きが書き連ねられ、事態への対処を精神論で乗りきろうとする文面になっていた。「教職員であるお宅の配偶者やお子さんが、不祥事を起こさないように、気を付けてください」ということか。問題を起こしていない人にまで、こんな手紙を出す必要があるのかと、一家族として不愉快な思いがした。ことここにきて、こんな認識や対応でいいのかと頭をかしげた。

一方、疾病、特に精神的疾患を持ってしまい、通院したり休職する教職員が後を絶たない。真面目であればあるほど、本来こうあらねばならないという教育観と、自分がそれを果たせない状況とのせめぎ合いで、自分を追いつめていく場合も多い。本来の教育以外の業務に忙殺されて、教育活動がルーティン化し、教育者としての感性が鈍磨しているケースもあると、現場の教職員から聞いたことがある。今学校に必要なのは、子どもと教職員が、じっくり話しが出来る時間を作ることではないか。「ゆとり教育」が見直され、基礎学力をしっかりつけるという方向転換を、文科省が打ち出した。それ自体が悪いとは思わないが、「ゆとり」は必要だ。人間が人間として成長していく過程で、教職員が自らの身体的・精神的安定を保ち、子どもに人生の範としての姿を示しているための、時間的空間的「ゆとり」は、今だからこそ必要だ。

「教育の日」を制定するのなら、これまでの教育の仕切直しをどうするか、「県民の皆さん、一緒に考えていきましょう」というスタンスであるべきだ。県教育政策課は、「制定により県民の教育に対する関心がより高まることで、教職員への啓発効果はある」と言っているようだが、いつまで教職員への啓発・・・などと、精神論に終始しているのだろうか。新たにそのためのイベント準備・実施に忙殺され、子どもと向き合う時間がまたまた減らされていく現場の悲鳴が、更に大きく、深刻になりそうだ。予算も必要だが、そんな余裕があるのなら、1学級でも多く少人数学級を増やすことにこそ使うべきだ。「不祥事対策として何もやらないよりはいいだろう」(県北の県議)程度で、果たして「教育の日」を制定することに意味があるのか大いに疑問がある。


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