中国・韓国との地道な関係改善を [みどり日記]
日本とアジアの関係がかつてないほど緊張状態にある。デモでの抗議まではまだ静観できるが、器物破損や人的被害が出るにいたると平静ではいられない。中国国内での外国人である日本人が怪我をさせられていることに、「中国に責任はない」と言い切る中国政府にはいささか頭をかしげる。国際的な常識に従って冷静に判断し、対応して頂きたい。そうでなくては、ビジネス関係者やその家族や留学生たちは、中国を去らなければならなくなる。
しかし、尋常ではないほどの彼らの怒りはどこから来るのだろう。中国や韓国でのナショナリズムが、これまでの経済や民間レベルの交流をも凌いで表に出てくる背景は、内憂があるからと言われている。豊かになったとは言え、所得格差が依然として大きいことに手を打てない現政権に対する不満の矛先が、領土問題や教科書問題などを交える日本に向けられているとも言われている。
しかしまずは、我が国自身に今一度目を向けていく必要がある。私は戦後世代の日本人として、常々思い続けていることがある。私たち昭和30年代生まれの者は、直前にまだ生々しい“戦中、戦後”を感じていた。爆弾の破片を庭先で見つけたり、戦争体験を家族や親戚から聞いたり。そしてアジアだけでなく世界の中の日本が、どういう道筋を辿ってきたかを自分なりに考えてもいた。確かに、日本が追いつめられていった背景に、大国の思惑が見え隠れはしていたが、その大国入りを果たすべく、アジアを侵略して言った事実はぬぐいされないものだ。そして、戦後そのことを反省したはずだった。
ところが、これまで度々見る政府や政治家の「反省」に基づかない発言や行動には、私自身も胸を痛められ続けてきた。ましてや、「痛めつけられた側」の思いは想像に余りある。ドイツの戦後と比べて、あまりに日本は心からの反省がない。政府要人が軽々に靖国神社を参拝したり、教科書に「侵略」や「従軍慰安婦」という文言を入れるべきでないなどという発言をすることが、アジア諸国が日本に対して深刻な不信感を持つ背景であることを忘れるべきではない。
教科書の採択にあたっては、「国を愛する心」を醸成するという目標が語られる。しかし世界の中にあって、良識と寛容と謙虚さが根底にあって、諸外国との地道な平和外交に徹する日本の姿を見せることこそが、日本を心から愛する国民を育てることになるはずだ。時間がはかかるがこの方法しかない。ねじ曲がったナショナリズムを放置し続けることは、今中国や韓国で突出している一部のナショナリストを、日本の中でも容認することになる。
これまでの政権以上に、無邪気な発言や行動をとり続ける小泉政権の外交の失敗は否定できない。自民党でもとりあえずいい。政権のリーダーの交代と外交政策の方向転換が急務だ。