重い運転者の責任
子どもたちが巻き込まれる事件が連日のように報道されている。意図的に殺害したケースがあったとしたら言語道断であり、究極の児童虐待だ。どうしてこんなことが頻発するのだろうか。昔は、学校から戻ると、近くの児童公園や今の動物園が建つ前の水辺に遊びに行くのが日課だった。「知らない人についていってはだめよ」とは言われたが、親は特に心配もせず、遊びに出してくれた。しかし、今は、安全に遊べる場所は学校の校庭くらいになった。この社会はやはり病んでしまっている。
その中で、佐賀県唐津市で起こった小学校5年生の家原毅さんが車にはねられ、別の場所で遺棄された事件では、その子は一命は取り留めたものの、意識もいまだに戻らず、予断を許さない状況だと聞く。このケースでは、53歳の男性が指名手配され逮捕された。もちろん、このケースは意図的に交通事故を起こしたわけではないだろう。恐らくこの男性は、事故を起こし、かなり狼狽したのだろう。しかし、自分の事情より人命が大切だという当たり前の考えに、何故立ち戻れなかったのだろうか。遺棄するなど人間のやることではない。
ただ私たち運転する者は、この事件を他人事と片づけてはいけない。安全運転は運転者の責任であることは言うまでもないが、そんな中でも、残念ながら交通事故は、どこででも、そして誰にでも起こり得る。事故を起こした瞬間、立場、地位、家族、仕事等々、走馬燈のようによぎるのだろうが、責任を持って起こしてしまったことへの対応をすることまでが、免許を取得している者の義務であると、自分に今一度引きつけて考えてみることも重要だ。もちろん、決して逃げ追うせるものではない。
熊本市内の交差点のあちこちに、「交通事故の目撃者探し」の警察の看板が立っている。私の父も、40年前に、歩行中にひき逃げされ、重傷を負ったまま一晩放置された。翌朝発見された時は、すでに息絶えていた。父の友人の警察官の尽力で、翌日加害者は逮捕された。どうしても、今回の事件の被害者の毅さんと父をだぶらせて考えてしまう。放置されたまま、さぞ痛く、苦しかったことだろう。厳しい容態ではあるが、毅さんには、何とか生き続けて欲しい。私は来月が免許更新だ。気を引き締めてハンドルを握ろうと思う。