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水俣病犠牲者慰霊式に参列して [みどり日記]

5月1日、通常私たちは、労働組合の皆さんたちとともに白川公園での、連合メーデーに参加する。同じ日に行われる例年の水俣病犠牲者慰霊式には、いつも気になっていたのだが参加していなかった。しかし、公式確認から50年目という節目の今年は、私自身、何としても水俣で5月1日を迎えたいと思い、メーデーには冒頭だけ参加して、11時57分のリレーつばめに飛び乗った。

新水俣駅からタクシーに乗ること10分程で、水銀ヘドロが埋められた水俣湾埋め立て地に着いた。どんよりした雲の下、強風に煽られた高低差のある波が次々に岸壁に押し寄せていた。水俣病で命を落とされた方々の怨念が、未だに鎮まらないことを表すかのような風雨の5月1日となった。

水俣病犠牲者慰霊式には、宮本水俣市長、小池環境相、潮谷知事等々、行政関係者や国会議員、地方議員が多数列席していた。会場にいた人ひとりひとりが、順次、慰霊碑に献花をし、御霊に手を合わせた。前々市長の吉井氏は当然列席しておられたが、前市長江口氏の姿が確認できなかったには驚いた。

鎮魂のための「祈りの言葉」は、まず宮本市長から。市長の言葉は、水俣市長としての責任の重みと覚悟に満ちたものだった。「50年経っても解決を見ていない水俣病を発生させたこの地に産廃施設は要らない」というところまで言及されていた。

潮谷知事は、今のような状況で50年を迎えたことへの「申し訳なさ」を何度も口にしておられた。なかなか思いがこもった、苦渋に満ちた祈りの言葉だった。これまで50年以上の県行政の対応の在り方については、もう一度しっかりと捉え直していく必要がある。担当した職員の思いは様々だろうが、何故あそこまで患者を追いつめていったのかをこそ、重く受け止めたい。その上で、現在においては、認定基準見直しなど問題解決に動かない国に、県としは如何ともしがたいという思いであろうが、時間との戦いであることを念頭に、現実的な救済を急がなければならないと、知事の言葉を聞きながら改めて思った。

ひときわ気持ちのこもっていない通り一遍の祈りが、小池環境相のそれだった。被害拡大には責任を持つと言いつつ、被害発生には一切言及しない国のこれまでの主張が披瀝されただけだ。聞くところによるとご本人、慰霊式典への列席に最後まで乗り気でなかったとか。首相が来ない、環境相が来ない「50年」では、世界から糾弾されていただろうから、まずは来られただけでいいとすべきか。

ちなみに、それから4日後の5月5日の夜、たまたまテレビのチャンネルを回していたところ、ちょうど、亀田兄弟のボクシングの試合が放送されていた。(私は格闘技は大嫌いだが、何の気なしにほんの少しチャンネルを止めていた)なんと、リングサイドで喜々として観戦していた小池環境相を見つけた。連休でオフとは言え、彼女にとってはこちらへの“列席”の方が重いのだなと、改めて思ったりした。それにしても、慰霊式典で彼女は、人間として何を感じたのだろう。政界を渡り歩く中で、人の痛みに深く共感する人間的厚みを持ち合わせてこなかったのだとすれば、気の毒にさえ思う。

祈りで印象的だったのは、いつも語り部として証言をしておられる認定患者の浜元二徳さんやほっとはうすの皆さんなど、家族や当事者の皆さんの言葉だった。県議会の一員としても、不十分な決議を採択して申し訳ない思いながら、何より、解決の道筋が混沌としていることへの責任の一端を深く胸に刻んできたつもりだ。全面解決への見通しが立たないただいま現在、県議会に身を置いていることの意味を、今後も自分自身にも問うていきたい。

最後に改めて、水俣病で犠牲になられた方々のご冥福を祈り、今なお苦しんでおられる皆さんへ心よりのお見舞いを申し上げます。


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