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2006年08月31日

グランドゼロが訴えるもの

エリス島からのフェリーは、マンハッタン島のバッテリーパークの船着き場に戻ってくる。そこからワールド・トレード・センタービルが建っていた場所へは、徒歩で15分ほどだ。今そこは、グランドゼロと呼ばれている。

グランドゼロは、ウォールストリート金融街の中に位置している。世界経済の象徴であったWTCビルはもうないが、周辺が金融街であったことを思い起こさせるように、観光地とはうって変わって、スーツ姿の男性や女性が行き交っている。ところどころに、大型バスが路上駐車されていたが、恐らくグランドゼロを訪れる人たちのバスだったのだろう。

9.11。徒歩15分圏は、恐らく視界も遮られ、方向もわからないまま、とにかく落下物や煙から身を守るため多くの人が逃げまどう、阿鼻叫喚の地獄だったろう。テレビ中継されていた衝撃的な映像と、自分がいる場所が重なりあってきた。近づくにつれて、霊気というか重くるしい空気がいまだに漂っている気がしてきた。グランドゼロの近くのトリニティー教会には、当時の遺品が展示されている。時間がなく、そこには入れなかったが、外から遺品の一部の展示が見えた。

ビルの間にぽっかりと空いた大きな空間が見えてきた。一辺が500mくらいだろうか、かなり深い空間、そこがグランドゼロだ。周りの高いビルの中、そこはやはり異様な趣だ。周囲には工事用の囲いがあり、モニュメント建設の工事が進んでいる。その囲いには、当時の写真やメッセージが飾られており、花も手向けられていた。囲いの奥を覗くと、ヘルメットや防災服などが並べてある。亡くなった消防士の遺品だ。

21世紀、世界のパワーポリティックスの一つの形として、9.11のテロは起こってしまった。未だに、そこに至るまでの真相は明らかになっていない。しかし、いつも罪もない一般市民が犠牲になっている。その後のアフガニスタンやイラクでもそうだ。そしてレバノンでも。悲しみと怒りと恐怖で震えそうになる。

連日通った国連の入り口には、有名な「銃のモニュメント」(銃口の先を結んである)が展示されている。不戦・非戦を象徴しているはずだ。そんな国連がニューヨークにあることも皮肉なものだと思う。一体国連は何をしてきたのかと虚しくも感じる。しかし、今こそ、ひとりの地球市民として、大国のエゴに翻弄されない、不偏の平和機関として、本当の力をつけて欲しいと願わずにはいられない。

そうでなくては、今回の障害者権利条約の争点の一つであった「外国による占領下の障害者を危険から守ること※」」を明記するか否かで、紛糾する必要もない。


※)この記述を残すことに反対したのは、日本、オーストラリア、アメリカ、カナダ、イスラエルの5カ国。反対派の主張は、障害者問題に政治を持ち込むことに反対との立場。賛成派はアラブ諸国を始め102カ国。棄権8カ国。やはり日本(東さんを除く政府関係者)は、アメリカとの友好関係に神経を使っているようだった。結果的に残すことになって、私はよかったと思っている。

2006年08月30日

選別と差別の島、エリス島

障害者権利条約の会議が行われていたニューヨークから戻って、汗だくの毎日がまた始まった。初秋から真夏への逆戻りだ。滞在した国連ビル近くのUNプラザホテルでは、部屋に戻ると、LOWに設定された冷房をすぐ切っていたが、それでも寝るまで部屋中がひんやりしていて、外出先でも部屋の中でもほとんど汗をかくことがなかったので、熊本のこの残暑、辛いなあ・・・。

昨日の熊日にも、やっと障害者権利条約についての共同の配信記事が掲載された。近々、東さんは熊日からインタビューを受けるようなので、詳しい報告記事が載ることだろう。

私の滞在期間は、会議の後半であったため、条約成立を見届けられると大きな期待を持っていた。しかし、23日くらいから議事がばったりと進まなくなった。議長は休憩を提案し、その間、賛成・反対で対立している条項について、関係国に協議をさせていたのだ。「あなたたち同士で話し合い、合意点を探りなさい」と。ただ、その間の話し合いは非公式であるため、私たちは手持ちぶさたが長く続くこととなった。

そこで、週末が全く入らない今回のニューヨーク滞在なので、思い切って、国連を離れて、私は“視察”を決行した。とは言っても、5番街のウィンドウ・ショッピングや美術館巡りではない。そこはまじめな平野みどりさん、アメリカへの移民の最初の関所であった「エリス島」を目指した。エリス島は、自由の女神があるリバティー島近くにある島だ。マンハッタン島からフェリーで渡る。

このエリス島は、自由の国アメリカを目指してヨーロッパなどから押し寄せた移民が最初に着く場所だ。彼らの出身国は、東欧、ロシア、イタリア等様々で、貧しさと闘っていて、新天地に希望を求めてきた人々だ。もちろん、政治的な理由により祖国を離れた人もいる。

エリス島の移民博物館に入ると、6ドルでレシーバーを借りる。日本語のチャンネルに合わせ、アナウンスの指示に従って、博物館内を巡る。とてもよく出来た解説で、あらためて知る当時の移民の厳しい現実や、彼らの希望などに思いを馳せた。

さて、移民がやっと辿りついたエリス島だが、入国審査官からの様々な質問により、入国を拒否される人も全体の2%はいたそうだ。恐らく犯罪者などだろう。船の長旅で疾病に罹った人を治療する病院もあった。そこで治療を受け、完治すれば入国許可となる。しかし、知的障害や精神障害を持つ人の場合は違っていた。彼らの知能を判断する道具や教材なども展示され、チェックを受けている様子も写真で展示されていた。差別的な検査であるIQ検査はここから始まったと言われている。

彼らは入国したとしても、一般就労が不可能と見なされ、家族と引き離され、施設に収容され、自由を奪われることとなった。なんとこれが、アメリカでの障害者施設収容の始まりとなった。その後、近年、施設での虐待などが指摘され、アメリカが施設解体へ大きく舵を切るまで、この収容政策は続けられた。移民政策には、こんな悲しい差別の歴史があった。

エリス島の博物館は、ある者にとっては、先祖の歩んだ歴史を追体験し、自分のアイデンティティーを確認するための場所だろう。ただ、博物館では当時の差別的な負の政策も隠すことなく紹介していた。まだアメリカの良心もあったのかと少しだけほっとした。そして、そんな場所に観光客が引きも切らない。悲しい歴史も含めて、熊本には歴史を持つ場がたくさんある。“学びのための観光地”を考える上で、参考にしたいものだ。

エリス島に2時間滞在して、マンハッタン島に戻った。同行した福祉新聞の三宅祐子記者とともに、今度は、車いすと徒歩で、グランドゼロを目指した。

2006年08月28日

遂に合意、障害者権利条約案!

昨日の夜、NYから戻ってまいりました。未だに興奮さめやらぬ状況です。なぜなら、25日午後7時、ついに国連において、障害者権利条約案が基本合意に至ったからです!今後、各国では条約批准後、教育やバリアフリー等々、条約に抵触しないような国内法の整備も行われます。もちろん日本も例外ではありません。

毎日、進んだり、紛糾したりの10時から18時までの会議を傍聴し、サイドイベントに参加したりで正直少々疲れた時期もありましたが、最終日、120カ国が基本合意し、拍手と涙で会場が包まれると、疲れは一気に吹き飛びました。熊日はまだのようですが、NHK、朝日、毎日、読売などで報道されています。
<読売の記事>
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060826i104.htm

今回の条約は、人権条約の中では、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約などが実現してきた中、最も遅いものとなりました。それだけに画期的なのは、各国の政府団員の中に、多くの国が当事者のNGOを入れたことです。つまり、政府とNGOが一緒になって、政府見解を作ってきたのです。その中では、せめぎ合いも当然ありましたが、政府とNGO、ぞれぞれが同じ目標に向かって、席を同じくして進めてきたことは、大変意義深いことです。それだけに、今回のやり方の成否は、今後の条約作りのモデルとなるかどうかを占うものでした。もちろん成功です!

日本政府団の中に、熊本の当事者の東俊裕弁護士が入ってきたことは皆さんもご存じかと思いますが、政府との意見調整においても、踏ん張ってくれました。情報収集や次の会議の準備で、寝る間もない程の重労働のようでした。私は、会議と会議の間だに行われる、NGO主催のサイドイベント(シンポジウム)に参加し、今の日本の現状と条約の必要性と今後の取り組みについて話してきました。愛隣館の三浦貴子さんも全社協枠で、NGO団の一員として傍聴されました。

それにしても、東さんも涙、涙でしたが、歴史的な瞬間に立ち会えた感動を今後も忘れることなく、運動を地方でも展開していきたいと心をあらたにしました。近々、東さんと平野と三浦さんとで、報告会を持ちたいと思います。

2006年08月22日

国連ビルはセキュリティー厳重

気温31℃のニューヨークに無事到着して二日目。蒸し暑さは無いので日本よりかなり過ごしやすい。日中の陽射しは結構厳しいが、日陰に入ると肌寒いくらいだ。日本は猛烈な残暑だとCSのNHKニュースが伝えている。それから、高校野球で早実が優勝したとことも伝えていたが、再試合で更に一点差という芝居のような展開だったとか。はらはらドキドキの試合、生で観たっかったなあ・・・。

さて、国連での会議には、政府団もNGOも登録が必要だ。社会の教科書で見た各国の国旗が並んでいる後ろにそびえ立つ国連ビルに入るには、まず、空港並のセキュリティーチェックを経ることになる。その後、今日から参加する私たちは、予め受け取っていた登録書(レター)を見せ、IDカードを作ってもらう。顔写真を写され、その写真付きのIDカードが瞬時に出来上がる。それを首からぶら下げれば、国連ビルの中は、観光客が入れないエリアにも入っていける。

今日からのコンベンション(条約の会議)は後半戦。丸4年、年2回の会議は第8回目となるが、今回の会議は採択に向けたまとめという位置づけだ。ところが、各国の発展の度合いや、経済力、全般的な人権意識、文化の違いなどが影響し、合意までには紆余曲折が未だにあり、今回では終わらないのではないかとも言われている。今日からの会議は、議長の采配でかなりピッチを上げてきているようなので、早期の終結を期待したい。

さて、第8回の前半での収穫は、各省庁代表者から構成されている日本政府団の文科省が、これまでかたくなに拘っていた「原則分離(原則的に障害児は地域の学校ではなく盲・聾・養護学校へ)」から、「原則統合(その反対)」に舵を切ったことだそうだ。これは今後の障害児教育に大きな一歩になる。条約に批准したら国内法の整備が早速求められるだろう。

現在日本で進められている特別支援教育は、どうしても高機能自閉症の子どもの支援に過度にフォーカスされているようで、とても気になっていたが、今後は、どんな障害を持つ子どもでも、地域の学校に進むことが原則となっていく。「障害」者への理解は、何より共に学び、共に育ち、時に喧嘩やいさかいなども経験しながら大人になっていくことでしか深まらない。成功した障害者の話や、一過性の「ふれあい」の交流教育などは、逆に間違った理解を与えかねない。今回の文科省の判断を日本に伝えながら、その動きを注目していきたい。

会議は10時から18時までだが、昼休みは2時間ある。この時間帯にNGOのサイドイベントが開催され、政府団や参加者にそれぞれのグループの課題を訴える。私たちが所属するJDF(日本障害者協議会)主催のイベントは、先週が「どのような枠組みで国内モニタリングを進めるか」、今週が「条約批准に向けた障害をもつ人の国会審議へのアプローチ」で、私は今週のサイドイベントのパネリストだ。日本語で発表すればいいと言われていたが、逐次通訳だと時間がかかるので英語で発表することになった。適切なこの分野の専門用語については、明日、ベテランの皆さんにチェックしてもらいながら、今晩はとにかく英訳と格闘だ。やっと体内時計をニューヨーク時間にセットできたのに、また明日も日中眠くなったりして・・・。

2006年08月20日

国連に行ってきます!

ゆっくりとした進度の停滞型の今回の台風は、猛暑の日本を少しだけクールダウンしてくれた。それにしても、台風の直下で、通常の悪天候時のように、車や人が行き交っているなんて、少なくとも私は初めて経験した。これも夏の高気圧との関係で起こることなのだろう。

さて、実は本日から27日まで、日本を離れる。来年の選挙を前に旅行?・・・ではないのであしからず。現在、ニューヨークの国連において、「第8回障害者権利条約に関する特別委員会」が2週間開かれている。私はこれと平行して行われるNGO会議に参加することになった。

国連の「特別委員会」には、日本政府も代表団を送り込んで、権利条約の条文について各国と論議している。実は、この政府団に、ヒューマンネットワーク熊本の代表で弁護士の東俊裕さんが、法律の専門家であり、障害を持つ当事者として加わっている。彼は、この条約が、障害者に関する国内での権利法の実現(福祉法ではなく)に、大きな影響を持つと考え、この4年間、熊本を年に2回離れ、ニューヨークでの会議に参加してきた。日当(わずかばかり)と渡航経費等は、全額日本政府持ちだが、地元での弁護士活動での収入を減らしながらの東さんの貢献には全く頭が下がる。

そんな訳で、私も、我が同士の頼もしい活躍ぶりを応援し、尚かつ、この会議の各国参加メンバーに対して行うロビー活動という意味を持つNGO会議に出ることになった。本当のところ、第8回まで参加していなかったのは、議員活動との関係で日程調整ができなかったこともあるが、9.11の舞台となったニューヨークという場所が、まだ私には重すぎたからだ。

今回も、先日ロンドンでテロ騒ぎがあったばかりだから、とてもこの夏国外に出ようとは通常は思わないのだが、DPI日本会議の副議長という立場から、また障害を持つ地方議員という立場から、しっかりと権利条約実現への息吹を感じ、今後行われる国内法整備、さらには自治体の条例作りに活かしていきたいと思う。尚、いつものようにノートパソコンを持参するので、無理のない程度に現地からのレポートもこのコーナーで行いたい。

では、手荷物検査が一段と厳しいユナイテッド航空ニューヨーク行きで、行ってまいります!

2006年08月11日

温度設定は臨機応変に

「5時15分を過ぎると県庁にはいられません」とは県職員の声。庁舎の冷房が切られるからだ。ご存じのように、熊本県は庁舎の温度を28℃に設定している。しかし、9日には熊本市で観測開始以来、8月としては最高の37.7℃を記録したように、猛暑が続いている。OA機器の出す熱などにより、28℃以上の温度で仕事をしているのは間違いない。省エネを推進する立場の環境省でさえ、28℃設定では仕事にならず、体力ダウンになると「音を上げた」ようだ。

確かに、夕方、県庁を後に帰宅していく脱力した県職員の皆さん様子を見ていると、夏が終わるまで大丈夫だろうかとさえ思えてくれる。特にデスクワークが中心だと、集中力はそうそう続かないだろうし、体力ダウンから、新たな疾病を引き起こす可能性も少なくない。余裕がないことから、健全で正確なコミュニケーションも保てないのではないか。観測史上初の暑さなのだ。温度設定は、日々調整してもよいのではないか。

また、本県だけでできることではないが、日本もサマータイムの導入を、積極的に考えてはどうかと、これだけ暑いと思う。一時間繰り上げて生活すれば、まだ涼しいうちから仕事を始められ、日中の暑さが残る夕方は、早めに終業できるのだ。アメリカで暮らしていた時には、慣れていないため変わり目に混乱した上、あまり必要性を実感しなかったが、省エネも進めなければならない今となれば、仕事の能率と体力維持の面からも、合理的だと思える。しかし、サマータイム制が実際に導入されていない中では、冷房をむやみやたらに使用する習慣や体質は変えなければならないが、杓子定規な温度設定は一日も早く考え直すべきだと思う。

2006年08月01日

混迷の源-ダムに固執し続ける人たち

30日、梅雨が明け、雲一つ無い空の下、久しぶりに相良村まで車を走らせた。利水弁護団・原告団主催の集会に参加するためだ。昨日、相良村の矢上村長は、利水事業からの離脱を表明したが、まさにその直前の集会となった。集まった農家や支援者の方々は、利水弁護団の板井、森、松野弁護士の説明に真剣に耳を傾けていた。

・「受益農家や村の水代の負担は、維持できる範囲ではないという矢上村長の主張はもっともだ」
・「我々は、既設水路の改修で対応できると、これまでも事前協議の初期の段階で言ってきた。ところが、その時農水省は、ダムによる利水より金がかかると切り捨ててきた」
・「また、チッソ発電所の水を使う今回の新利水案にしても、既に3年前、弁護団・原告団はこれを提案している。そのとき、農水省は『発電用の水と利水の水は性質が異なる。(弁護団の意見は)素人考えだ』と、一顧だにしなかった」
・「ここまで長引いたのは、何が何でもダムと、拘り続けてきたためだ」
・「今回“非ダム案”として農水省が出してきた案は、既存水路を活用するもの。しかも、『ダムを前提としていない利水案』であるといいながら、事前協議の中で、国交省と農水省が直接確認し合うこともなく、押し切ろうという始末。到底受け入れられない」

弁護団の説明は、参加者を納得させるに十分だった。利水事業も、国交省がこだわり続ける治水目的の川辺川ダム本体そのものも、今後の事業の先行きは見えなくなった。ただ見えているのは、矢上村長も主張し、私も、前回のブログで書いているが、「40年前と今とでは、自然環境、自治体の財政、就農人口等、取り巻く環境が大きく異なっている」という点だ。矢上村長の今回の判断は、四面楚歌の中、「勇気ある決断」とすべきなのだろうが、むしろ時代認識を持つべき首長としては、当たり前の判断だとも思える。小さな自治体の首長が、こんな判断をしている。知事のリーダーシップにも皆が注目している。

集会終了後、六角水路の上流の集中豪雨による災害現場を見てきた。水路の片側が完全に崩れ落ち、土砂は近くの民家を跡形もなく完全に倒壊させていた。死者が出なかったのが不思議なくらいだ。高原台地の茶や果樹栽培のために引かれた水路は、ダム計画の中で、必要な補修もされず放置されてきた。記録的な集中豪雨が原因でもあるが、このような農水省の対応は、「農家を見ずに、どこを見てきたのか」と非難されても仕方ない。

とにかく今できることとして、災害復旧はもちろんのこと、利水という意味でも、既設水路の補修等で個々の農家に個別に水を手当していくことだ。それなら、税金を投入する事業として、農家や県民にも納得がゆく。


お問い合わせ 平野みどり事務所 860-0066 熊本市城山下代4-7-28 
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