グランドゼロが訴えるもの
エリス島からのフェリーは、マンハッタン島のバッテリーパークの船着き場に戻ってくる。そこからワールド・トレード・センタービルが建っていた場所へは、徒歩で15分ほどだ。今そこは、グランドゼロと呼ばれている。
グランドゼロは、ウォールストリート金融街の中に位置している。世界経済の象徴であったWTCビルはもうないが、周辺が金融街であったことを思い起こさせるように、観光地とはうって変わって、スーツ姿の男性や女性が行き交っている。ところどころに、大型バスが路上駐車されていたが、恐らくグランドゼロを訪れる人たちのバスだったのだろう。
9.11。徒歩15分圏は、恐らく視界も遮られ、方向もわからないまま、とにかく落下物や煙から身を守るため多くの人が逃げまどう、阿鼻叫喚の地獄だったろう。テレビ中継されていた衝撃的な映像と、自分がいる場所が重なりあってきた。近づくにつれて、霊気というか重くるしい空気がいまだに漂っている気がしてきた。グランドゼロの近くのトリニティー教会には、当時の遺品が展示されている。時間がなく、そこには入れなかったが、外から遺品の一部の展示が見えた。
ビルの間にぽっかりと空いた大きな空間が見えてきた。一辺が500mくらいだろうか、かなり深い空間、そこがグランドゼロだ。周りの高いビルの中、そこはやはり異様な趣だ。周囲には工事用の囲いがあり、モニュメント建設の工事が進んでいる。その囲いには、当時の写真やメッセージが飾られており、花も手向けられていた。囲いの奥を覗くと、ヘルメットや防災服などが並べてある。亡くなった消防士の遺品だ。
21世紀、世界のパワーポリティックスの一つの形として、9.11のテロは起こってしまった。未だに、そこに至るまでの真相は明らかになっていない。しかし、いつも罪もない一般市民が犠牲になっている。その後のアフガニスタンやイラクでもそうだ。そしてレバノンでも。悲しみと怒りと恐怖で震えそうになる。
連日通った国連の入り口には、有名な「銃のモニュメント」(銃口の先を結んである)が展示されている。不戦・非戦を象徴しているはずだ。そんな国連がニューヨークにあることも皮肉なものだと思う。一体国連は何をしてきたのかと虚しくも感じる。しかし、今こそ、ひとりの地球市民として、大国のエゴに翻弄されない、不偏の平和機関として、本当の力をつけて欲しいと願わずにはいられない。
そうでなくては、今回の障害者権利条約の争点の一つであった「外国による占領下の障害者を危険から守ること※」」を明記するか否かで、紛糾する必要もない。
※)この記述を残すことに反対したのは、日本、オーストラリア、アメリカ、カナダ、イスラエルの5カ国。反対派の主張は、障害者問題に政治を持ち込むことに反対との立場。賛成派はアラブ諸国を始め102カ国。棄権8カ国。やはり日本(東さんを除く政府関係者)は、アメリカとの友好関係に神経を使っているようだった。結果的に残すことになって、私はよかったと思っている。