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2006年12月31日

硫黄島からのメッセージ

今年も残すところ数時間。(ざっとした)掃除や親戚への挨拶などは、ほぼ昨日までに済ませた。

さて今年を振り返ってみると、何ともきな臭い一年だったような気がする。憲法改正を視野に入れた教育基本法改正は、断固として許せない。戦争を知らない世代が、戦争のできる国への道筋を作りつつある。たった今、世界各地で、銃弾や爆弾で命を落とす人たちがいるわけだが、この現実を、これから日本が進んでいく道の先と重ね合わせる想像力が、大きく欠けている日本人が多過ぎるのではないか。

そんな中、昨日、クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」を観てきた。硫黄島での壮絶な戦闘シーンは、CGを駆使したり、実写を用いた映像で、実際の戦場をリアルに描いていた。途中、目を伏せたりする場面も少なくなかったが、こんな現実があったのだということを、改めて確認しておかなければと思いながら観た。全編カラーなのだが、ほとんどモノクロに近い色調の中で、日の丸や、軍服の襟の部分の赤が、わずかに赤であることを感じさせ、妙にリアルだった。私自身、常々は戦争映画をお金を払ってまで観ることはないのだが、この映画だけは観なければという思いに駆られていた。

この映画、特に、アメリカと日本のどちらかを悪者として描くという類の作品ではない。むしろ戦争という非人間的、非日常的状況においても、人は人であり、家族や愛する人を思いながら、ぎりぎりまで生きていることが、淡々と描かれている作品だ。ハリウッド臭さを感じさせない映画だ。特に主演の渡辺謙は、厚みと深さを感じさせる俳優になったものだと感心した。

もう既に来年のアカデミー賞の呼び声が高いと言う。全編日本語の映画が、候補にあがるとは驚きだが、確かに今のアメリカならこの映画を評価するだろうと納得した。恐らく、「硫黄島からの手紙」に登場する日本兵たちと、イラクで闘わざるを得なかった米兵たちを重ね合わせながら、この映画を観た人は多かっただろう。共に思うのは家族であり、愛する人たちだ。イラクへの泥沼の介入でアメリカ兵だけで3000人以上が命を落としている。今頃になって、イラク戦争への責任を、ブッシュ大統領に問う声が大きくなっているが、何故あの時止める世論を大きくできなかったのかという、国民の反省も少なくないようだ。

今年中に「硫黄島からの手紙」を観ておいてよかった。大本営に見捨てられたような戦場で闘うことに、何らかの意味を兵士たちが持ったとするならば、家族や愛する人が暮らす日本が、平和な国としてあり続けることではなかったか。最期に叫ぶ「天皇陛下万歳」という声が、私には、「故郷にいる愛する人たちよ、いつまでも元気で。平和な日本にして欲しい」という叫びに聞こえた。

さて、今年一年、様々な皆様に大変お世話になりました。来春は、お騒がせの4年に一度の”選挙”ですが、何とか議席に戻れるようがんばりたいと思います。今後ともよろしくご指導ください。来年が、皆様にとって、幸多い年となることを心よりお祈りいたします。

※明日より、ブログの更新マメにいたします。反省・・・ (^_^;)

2006年12月28日

ゆっくりした学び合いで本当の力を付ける

我が家の西側は、有明海からの激しい海風に晒されるが、夕べからの嵐は今年一年を象徴しているようだった。

特に、子どもたちを取り巻く悲惨な実態。各地の教育委員会からのデータによる文科省の統計ではゼロとなっている“いじめ”による児童・生徒の自殺が、実際は、かなり多く起こっていることがわかった。もちろん、いじめだけが原因でないケースもあるだろうが、過去を検証するならば、表に出ているのは氷山の一角だろう。日本は国連から、子どもを競争へと駆り立てる現実を、子どもの権利条約に抵触すると指摘され、改善するように勧告を受けている。ところが、日本は勧告を真摯に受けてとめて来なかった。そのツケは大きい。

なぜ、子どもたちは、それぞれの持つ育った環境や備わった感性の違いを、多様性として認めず、排除や攻撃へと駆り立てられてきたのだろうか。私が子どもの頃からそれは始まっていた。しかし、まだ勉強ができるだけで評価されない、違いを“許容”する余裕が学校にはあったと思う。しかし、今は違う。“学ぶ”ということが本質的に、変質されられてきたのではないか。

本来、クラスメートとの学び合いは、それぞれの感性がいい意味でぶつかり合い、発見を喜び合うことであるはずだ。たとえば、公式を覚えるのではなく、公式を見つけだすための試行錯誤。そこでは、ゆっくりだけれど、将来、折々壁にぶつかった時に、それを乗り越えるための“力”が身に付く。他人との関わりや社会で生き抜くための応用力だ。ところが、受験テクニックを追求する社会では、公式に当てはまらないと対応できない人間を産み出す。他者を蹴落とす術は備わっても、他者との関わりは排除される。フィンランドを始め北欧諸国は、そのことに早く気づき、実践してきた。その結果が、“学力世界一フィンランド”として実証されている。

“いじめ”は、どこの社会にも起きている。日本ばかりの話ではない。しかし、今の日本の教育の在り方は、子どもの”格差社会”そのもので、弱者切り捨てだ。切り捨てられた者が、更に弱い人へと暴力を向ける。あるいは、他者の痛みを知らない強者が、陰湿ないじめに走る。これは、世界の中でも類を見ない異様な子どもの世界ではないか。

「他者とのコミニュケーションが持てず、孤立している。学力も本物のではない」こんな子どもたちの状況が、教育基本法を改正して是正されるはずがない。まったく筋違いだ。モラルや道徳を言うならば、関心が自分だけにしか向かない子どもたちを、これ以上、不毛な受験戦争に駆り立てるのではなく、少人数学級を更に進め、応用力を育てるための本物の基礎・基本をゆっくり身につけさせるための“共に学び合う環境”の充実にこそ、徹底して予算を付けることだ。

しかし、自民党も民主党の一部も、国民の心に介入し、コントロールしやすい国民を養成するための教育基本法改正には強い関心を示しながらも、そのことがわかっていない。2007年度の政府予算を見ても、相変わらず格差社会を下支えする教育予算だ。そのうち、世界の中で、“あんな国にはなりたくないね”という声が聞こえてこないかと心配な年末だ。

2006年12月18日

透徹したリーダーシップを

この冬一番の寒波が九州を直撃した。そんな中、昨日、相良村で行われた「この川にダムは似合わん!」集会は、2300人の人たちが、村内、県内外から集まり大成功だった。私は市内での予定がどうしてもはずせず、「県議の会」として参加が出来なかったが、他の仲間の議員は勢揃いした。子どもからお年寄りまで、相良村は今、矢上村長とともにこれまでの経緯をしっかり受け止めながらも、ダムを完全否定して歩み出している。

拘置所での9ヶ月間、二畳半のスペースで、胡座をかくか正座するしか許されない(横になることを許されない)生活の中で、矢上村長は様々な邪念やしがらみから離れ、とにかく考えることしかできなかったと言う。折からの三位一体の嵐の中、これまでの村長として自らの運営はどうだったのか、今後はダム問題も含め、どのような村政が想像出来るのかなど、「村民のための村政」に改めて思いを巡らしたそうだ。その結果、ダムによらない治水・利水という大きな政治判断へと至った。「村民の思い、村民の未来」の下には、もう恐れるものなど無いのだろう。

私たちに今できることは、球磨郡の「小さな村の大きな決断」を傍観することなく、熊本県も大きな決断に踏み出し、推進派や国土交通省の皆さんが、未来志向でダムを断念する時が一日も早く訪れるよう、相良村の意思を県民の全体の意思として大きくしていくことだ。潮谷知事には、今こそ、矢上村長のような透徹したリーダーシップを期待したい。決断の時は刻一刻と迫っている。

2006年12月17日

仲間の旅立ち

週末の早朝、ヒューマンネットワーク熊本の事務局スタッフからの電話が鳴った。咄嗟に誰かに何かがあったのかもしれないという不安が頭をよぎった。案の定の悲しい知らせだった。事務局の木浦義彦さんの弟で、兄と同じ重い障害を持つ木浦博文さんが亡くなったという知らせに絶句した。

博文さんは、兄の義彦さんの結婚を契機に、昨年から念願の一人暮らしを始めていた。とにかくこの人が一人暮らし出来るなら、ほとんどの人が大丈夫というくらいの、全介助の重い障害を持っていた博文さんだが、彼は、自分なりのペースで自分らしい生き方を実践してきた。競馬好きのユーモアいっぱいの博文さんのファンは多かった。

熊本北高校卒業後、コンピューター専門学校を経て、博文さんはウェブデザインの仕事を、体と折り合いをつけながら続けてきた。彼の一日の生活をパワーポイントで紹介したプレゼンを見せていただいたことがあるが、ホームヘルプを利用しながら、たくさんの人が関わり続けた彼らしい生活だった。そして彼の実践は、施設から地域へと、生活の場所を切り拓こうとしていた多くの仲間たちにも勇気を与えた。

だから、今回の彼の死について、「重い障害を持つ人の自立生活を不安視したり、否定したりする流れにしたくない」と、会葬お礼の挨拶で、弟の思いを代弁して兄の義彦さんは訴えていた。そもそも、ウイルス性の風邪で入院していて、もう大丈夫だろうと集中治療室から一般病棟に移ってすぐに、痰を詰まらせて亡くなったそうだから、医療機関の対応のまずさは指摘されても、博文さんの死は自立生活そのものとは関係ない。

葬儀で、一際胸が詰まったのが、棺の蓋が閉じられるまで、悲しみにくれておられたお母さんの姿だった。重い障害を持つ兄弟を、しっかり支え、一般の高校に進学する道も作ってこられた。今でも親の負担が重い現状だが、毎日の学校への送り迎えや介助などを一手に担ってこられたお母さんの存在は大きかった。色々な思い出が次ぎから次に巡ったことだろう。

多くの仲間や関わった人たちが、出棺の時まで暖かく見守り、別れを惜しんだ木浦博文さんの旅立ち。私たちは、30年という短かくはあるが、充実し輝いていた木浦博文さんの軌跡を決して忘れないだろう。

2006年12月12日

国民はもっと怒ろう!

師走の日本、先生だけでなく、みんな“走り”ながら年の瀬に向かって日々暮らしている。色々なことを落ち着いて考える余裕もない。そして、ここのところ、怒りのアンテナが麻痺してしまいそうなくらい、頭に来る出来事も相次いでいる。

談合問題、裏金問題、子どもが被害者になる事件、社会保障費の大幅削減、教育基本法改悪審議、政府のやらせタウンミーティング、郵政民営化造反議員への対応(舌の根の乾かぬうちに!)、障害者自立支援法施行後の悲惨な事件、等々。

これから順次このコーナーでも書いていきたいが、今日は社会保障費について。政府は、02年予算で自然増分3000億円を削減したのを皮切りに、毎年2200億円を圧縮してきている。これが、医療、年金、介護保険の改悪として庶民への負担増として押し付けられた。さらに07年度予算案では、雇用保険や生活保護の削減が狙われている。

この国が、徹底して無駄使いを改めていく必要があることは承知している。しかし、社会保障費に手をつける前に、他に切り込む分野は多々ある。天下りのためにのみ存在するような、国の出資団体はいまだに存在する。キャリアだけでなく、ノンキャリまでが、定年を全うせずにところてん方式で、次に行くことろが保障されている。こんな国が他にあるだろうか。

一昨日、NHKスペシャルで「ワーキングプア」について取り上げていた。今回はパート2だ。NHK始まって以来という、反響があったパート1が、働いても最貧困状態にある若者を映し出していたが、今回は、母子家庭の母親や、病気の親を介護しながら働く女性など、厳しい実態が報告されていた。

前述の母親は、19歳で結婚し、子ども二人をもうけ、その後離婚。資格があるわけでもなく、パートを2つ掛け持ちして、家事や育児もこなしながら、手取り14万円。児童扶養手当が4万円入り、やっと生活がなりたっている。睡眠時間は4時間ほど。小学生の子どもはこれから教育費もかかる。収入を増やすため資格をとるにも、一定期間仕事を辞めなければならず、生活のがなりたたない。来年度は児童扶養手当も半額になる中、どうしようもない思いとともに、日々が過ぎ定いく・・・、というケースだった。

胸が押しつぶされそうだった。いつ倒れてもおかしくない過酷な日々だ。離婚したとはいえ、男親の養育費負担の責任は?ともよぎったが、ここではテーマからはずれるので、とにかく「母と子ども二人」が生きていくために、今何が必要かを考えたい。毎日、精一杯頑張っている人たちが、ギリギリの生活というのは一体何故なのか。国は、このような母親がステップアップするための支援にやっと乗り出そうとしているが、生活費を完全に保障して安心して学べる環境にはほど遠い。

労働者は今、大企業が歴史的収益を上げる中、叩かれて続けられている。格差社会は、良識的でまじめな国民までも、貧困状態にどんどん追いやっている。国の無策と言わずして、何と言えるだろうか。大企業だけが税制優遇を受ける中、最低賃金で働かされている層は増え続けるばかりだ。

海外からの労働者を否定するものではない。しかし、それは労働力不足からというより、日本人より“安い人件費”で働いてくれる人材の確保が目的になっている。日本人はどこで働けばいいのか。国は、こんな“美しくない実態”を放置して恥ずかしいと思わないのだろうか。いったい今どれだけの日本人が、誇りと尊厳を持って“美しい国”づくりに邁進すると、国は思っているのだろうか。ナンセンスだ。

来年の統一地方選挙と参院選で、今度こそは「こんな政府は要らない」と怒りを表さなければならない。さもなければ、国民は自らの命を悪魔の手に委ね続けることになる。自民党が自滅党となる道をとにかく拓いていかなければ。公明党もいいかげんに、心ある党員や学会員の声を聞き、自民党との共依存関係を断ち切らなければ、国民から完全に目を背けられるのではないか。

2006年12月04日

明日(5日)は一般質問に立ちます

師走に入り、急に冷え込んでまいりましたが、お変わりございませんか。

このブログ、しばらくお休みしておりましたことをお詫び申し上げます。体調がすぐれなかったわけではありませんが、市長選の間たまってしまったバックログを片づけたりしているうちに、今度は今期最後の一般質問が迫り、その中で行事は立て込み、睡眠不足も続いて生活のリズムが少々崩れてしまいました。(小学生みたい?!)

さて、【明日12月5日(火)、午前11時から12時まで】、今期最後の県議会での一般質問に立ちます。ご多忙の中とは存じますが、傍聴いただけましたら幸いです。またまた項目が多くなり、時間との闘いが予想されますが、臨機応変にカットしたりして、対応したいと思います。

そもそも、質問者の時間が規定されているわけでなく、質問+答弁で60分(代表質問は100分)ですから、知事や部長が予想以上に長く答弁したりすると、質問時間が足りなくなります!(T_T) 熊本市議会や他県の議会のように、質問者の時間が保障されるよう、これまでも議会運営委員会に求めて来ましたが、未だ実現していません。今後の課題です。

さて、傍聴が難しい皆さんは、当日リアルタイムで県議会のサイトから、中継を見ることができますし、当日中には録画も掲載されます。ではガンバリます!
http://www.pref.kumamoto.jp/assembly/contents/index.html

<質問予定項目>

1.相良村の国営川辺川利水事業不参加とダム建設反対表明について

→趣旨:知事に”今決断を”と迫る質問ではありません。自民党はそうらしいですが。

2.ユニバーサルデザイン推進の在り方について  
(1)県職員の理解と実践について
(2)県民の取組みへの支援について

→趣旨:平野自身は、かけ声だけで浸透が期待はずれだと実感しています。バリアフリーではなくユニバーサルデザインだとか、これはユニバーサルデザインだが、これはユニバーサルデザイン規格外だとか、神学論争のような選別は無意味だと考えます。ユニバーサルデザインを究極の目標としつつ、各々条件を持って生きる人のための県民による具体的実践が、むしろ懐深く奨励されては行かなければならないと思い、今回質問で取り上げることにしました。


3.管理職の在り方について              
(1)パワーハラスメントの実態について
(2)メンタルヘルス疾患等予防体制作り
(3)女性管理職登用のあり方について

5.法令遵守(コンプライアンス)と公益通報者保護の取組みについて   

4.障害を持つ人への差別をなくすための条例の制定について

6.知的障害者の県機関での雇用について
       
7.高校再編における適正規模について 


お問い合わせ 平野みどり事務所 860-0066 熊本市城山下代4-7-28 
電話:096-319-4080 ファックス:096-319-4081
Eメール:info@hiranomidori.net  ホームページ:http://www.hiranomidori.net/
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