熊本市の慈恵病院が設置を計画している「こうのとりのゆりかご」について、市、国、県の見解が出揃った。出揃ってからこのブログに私の見解を書こうというつもりではなかったが、たまたま後延ばしになってしまった。
子どもの命を守るということで、最後の手段であるこの取組みは、ドイツのハンブルグから始まり、更に周辺国にも広がった。いずれは日本でも始まるだろうと予想していた。結論から言えば、私は、「こうのとりのゆりかご」の設置は致し方ないと考える。
マスコミが使っている「赤ちゃんポスト」という名称に、安倍首相は抵抗感があるという。確かに私もこの表現は不適当だと思うので使わないが、「こうのとりのゆりかご」自体は、温度管理や見守りも徹底して行われるわけで、赤ちゃんが決して物のように置かれるわけではないようだ。
社会の中では、様々な事情で子どもを育てられないケースがある。首相には、ご自分の家族観や子育て観はさておき、ギリギリの選択を迫られている人たちに、思いを馳せて発言していただきたい。捨て子や育児放棄を助長するという指摘は当たらないし、現在の児童虐待や子殺しの実態からすれば、命を救う手段の一つとして、認めざるを得ないはずだ。
それにしても折角、厚労省の辻事務次官(会ったことがあるが誠実そうな人だった)が、前向きな見解を出しているのに、政府のトップ(柳澤厚労大臣も含め)が相次いで消極的な発言をするようでは、事務方もやりにくいのではないか。様子見という態度はいただけない。
さて、「こうのとりのゆりかご」には基本的には否定しないのだが、いくつか気になることがあるので挙げてみたい。
1. あずけられた赤ちゃんのその後はどうなるのか。慈恵病院はどこよりも先に、児童相談所に連絡すると思うが、ケースバイケースではあるものの、できるだけ早く、児童相談所は、里親とマッチングさせるなり、新しい家族や家庭を作ってあげて欲しい。熊本県の里親制度は、他県に比べて進んでいないと聞く。育ててもいいという親はいつまでもウェイティングリストに載ったままだ。良識ある里親ならば、子どもの育ちには施設より家庭がいいに決まっている。
2. 潮谷知事の議会答弁にもあったように、本来は深刻な状況の親が頼るべきは児童相談所や女性相談窓口のはずだ。それが十分機能していないことや、その存在の周知が極一般の市民へ徹底されていないことの現れが、今回の「こうのとりのゆりかご」だ。児童相談所も、複雑化、専門化、そして多忙化していることは承知しているが、これまでの在り方を見直し、必要なら更なる増員をして、体制の再構築を急がなくてはならない。「ゆりかご→児相→施設」を増やすだけではだめだ。
3.一連の事業についての報道や議論を見ていて、違和感を覚えるのは、望まない妊娠・出産をした女性と同時に、そういう状況を作った男性の存在が見えないことだ。「子どもをどうするか」というギリギリの判断は女性だけに押しつけられ、首相のような感覚の人たちは「子どもを捨てるなんて」と母親だけを責め立てる。「男の責任はどうした!」と声を大にして問いたい。そして、望まない妊娠を防ぐための、身勝手な大人にならないための、「男女が対等であることを基本にした性教育」をもっと徹底して行うべきだと思う。
過去何件か、中学生や高校生が子どもを産んだケースについて私の耳にも入ってきた。中絶が可能な時期を超えた場合、出産して、施設で育ててもらっているケースもある。あるいは、すぐに養子縁組をしたケースもある。いずれにしても、生まれた子どもに罪はなく、幸せに生きる権利がある。「こうのとりのゆりかご」に預けられるケースが少ないことが本来は望ましいが、殺されるよりは遙かにましだ。ただ本来は、身体的にも、精神的にも、経済的にも、親になれる環境が整ってから、子どもを産み育てる人たちが多くなるように、私たちは課題解決に真剣に取り組んでいかなければならない。事は、「ゆりかご」だけの話ではない。