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2007年09月28日

政務調査費等検討委員会の経過報告

9月も終わろうとしているのに、まだタオルケットだけを巻いて寝ている。窓から差す月明かりはしっかりと中秋の名月から注がれているのだが、夏の暑さだけが取り残されたままだ。有明海・八代海の水温がここ30年で0.5度上昇しているそうだ。これだけの上昇でも海洋生物にとっては、熱湯につかっているに等しい程の異常水温だと聞く。私たちの体も、亜熱帯化した気候にまだ適応できないまま、これまで考えられなかった疾患などを伴い、少しずつ蝕まれていっているのではないだろうか。異常な事態は加速しながら深刻化している。私たち自身の生活の見直しによる二酸化炭素削減も厳しく進めなくてはならないが、エネルギーや商品を石油に頼らないでいい生活が実現できるよう、産業界あげての抜本的な温暖化対策に、国も本腰を入れる必要があるとしみじみ思う。

さて9月県議会は昨日で常任委員会までを終え、後は10月1日の閉会日を迎えることとなる。各委員会の様子については、会派内の議員から報告を受けているが、閉会日で採決を終えてからコメントしていきたいと思う。昨日は、併せて「政務調査費等検討委員会」が開催され、私も委員として議論に加わっているので、そこでの議論の様子をレポートしてみたいと思う。

やり方として、それぞれの会派で意見集約した結果を口頭で持ち寄った。自民党の場合、期数で3つに分けてあった。意見が一致する点もあれば、大きく考えが隔たっている点もある。会派だけでなく、個人差もかなりあるようだ。

まず「政務調査費」については、「多すぎる」という意見は皆無だった。「額は十分だ」もしくは「財政が厳しい中、適正な額だ」という意見が大半だったが、「議員活動においては事務所費や人件費が大きく占める。足らないくらいだ」という意見も少なくなかった。「政務調査費というくくりではなく、議員活動費」と改めるべきではという意見も。領収書添付と公開については、民主・県民クラブと公明党は1円以上の支出はすべて公開で進めるべきだとしたが、自民党は適正に管理しておけばいまのままでよいという意見だ。(←”適正”が外部の目で監視される必要があるのだが)

「費用弁償」については、「そもそも交通費という捉え方が正しくない。日常活動は365日、24時間対応でやらなければならず、議会開会中はその上に議会に登庁しなくてはならず、弁償という意味もあるので、日当も含めるべきで、実費支給はなじまない」という意見が多かった。民主・県民クラブでは、「それは一般県民には通用しない。月額の報酬との二重取りと言われかねない」という立場だ。議員として活動し生活するために、一般より高い報酬を得ているわけだから、ここはすっきりと実費支給とすべきだと私も思う。ちなみに熊本市内の議員は、宿泊も伴わず交通費だけだから平均1000円くらいだろうか。ガソリン代が高騰していて、現行の1kmあたり37円は厳しいが、まあ仕方ないだろう。

「海外視察」については、「物見遊山的な視察は言語道断だが、近年自治体レベルでも人的・経済的交流が盛んになった東アジア諸国など、フットワーク軽く視察に行く必要が生じている。廃止する必要はなく、適正な運用が大事」という意見だ。これについては、私も十分理解できる。ただ、海外渡航が一般的になり安価になってきている今、4年間で100万円が妥当とは思えない。海外への視察や調査活動が必要なら、政務調査費も使えるので、そちらで対応すべきではないかと思う。したがって、政務調査費以外の議会予算を使っての海外視察は、「当面自粛すべき」と民主・県民クラブでは一応結論づけている。(これも個人個人で異なるところが悩ましい。)

また、他会派からは、「政務調査活動という意味からすると、海外視察とした予算を、政務調査費に組み込み、国内・国外問わず、議員の判断で運用してはどうか」という意見もあった。制度的に可能かどうかは今後の検討事項だ。

「友好都市訪問」は、熊本県議会は群を抜いて他県より多い。3都市への(中国・広西壮属自治区、韓国・忠清南道、米国・モンタナ州)毎年派遣など、まずない。せいぜい1都市かゼロ、そして頻度も隔年や記念年などだ。また海外視察とともに当面凍結しているところもある。本県でも、友好都市との関係の見直し(断絶ではもちろんなく、これまでの慣例的な行き来の見直し)も必要だと思う。

いずれにしても、“オンブズマン対策”ではなく、必要なところには必要な経費を充当し、切るべきところは思い切って切るという判断が必要だ。それを県民と共有していくためには、情報公開は不可欠だ。そして、議員の日常活動の在り方(欧米では地方議員はボランティア的な側面もある)も、そろそろ見直していく必要があるように思う。県民の皆さんも、議員を「先生」にしてきたことの反省も込めて、外からの声もどんどん議会に寄せて頂きたい。この政務調査費等検討委員会は、今のところ非公開で行われているが、ほぼ意見が出尽くし、委員会としての方向性が見え始めたら公開にするそうだ。始めからでもいいような気がするが、マスコミが特定の人の発言などを断片的に取り上げて、委員会の考えとして一人歩きするのが心配だそうだ。

さて、宮崎県議会は、九州の県議会で初めて、政務調査費の1円からの領収書添付を始めるそうだ。熊本県議会も、もっと情報公開がもっと進むよう、委員として活発に発言していきたい。

2007年09月20日

安倍政権の教育観が影響-子ども条例

議会開会中ということもあり、最も気温の高い時間には屋外出ていないのだが、夕方議会棟を出るむっとするような空気に思わず、ため息が出てしまう。夕方以降にもクーラーの御世話になるとは、真夏への逆戻りだ。今日は彼岸の入りだというのに。ここ数日少々疲れを感じたり、連続のくしゃみが出たりする。恐らくこの残暑のせいだろう。風を引かないように気を付けたい。

帰りにスーパーで買い物をして、レジを待っている際、雑誌コーナーに目が行った。そこにあの「週刊現代」が。初めてこの雑誌を買ってみた。週刊現代では、最新号で安倍首相の相続税脱税疑惑を掲載していて、今話題になっている。この疑惑を追っていた編集部から安倍氏への質問状の回答期限は12日。辞任の当日だった。

記事を読んでみて、事実ならこれはあの不可解な辞任への大きな要因だと思えた。この脱税問題、既に時効が成立しているようだが、過去のこととはいえ、脱税なら社会的にも許されるものではなく、安倍首相は国会での追求は免れられなかっただろう。「政治とカネ」への国民の不信ここに極まれりとなる。彼自身も耐えられないと思ったのだろう。しかしながら、ご本人不在で体調不良ということだから、今後この問題が進展していくのかはわからない。うやむやにしてはいけない気もするが。

そんな中、安倍首相の辞任で様々な影響が出始めている。その一つが教育改革だ。安倍首相になってから、教育への政治介入が甚だしかった。教育基本法は改正され、憲法も改正へと右舵全開状態で進んできて、現場からも日常の教育活動への影響も含め、危機感を持っているとの声が多く寄せられていた。

しかし、安倍首相の意向を受けて設置されていた諮問機関の「教育再生会議」も親方不在となり、頓挫しようとしている。もともと、多士済々というより、むしろ素人集団的な「教育井戸端会議」の観があり、安倍首相の進めたい「美しい国」だの、「徳育」だの、はたまた教育の産業化を押し進めるための御用集団だったのだから、彼の辞任で急激に弱体化するのは当然だろう。

そもそも、文科省は中央教育審議会(中教審)という機関を持ち、ここでも教育の在り方や具体的な制度作りなどが提言されている。この中教審も、教育の中立とはいいながら政治に引っ張られることもあるが、それでも安倍政権での「教育再生会議」よりはましで、中教審の委員も教育再生会議には相当不快感があっただろう。その現れが、一昨日報道されていた「徳育の教科化」の見送りだ。これは教育再生会議で提言されていたのだが、首相が辞任し、この会議が有名無実化することを受けての文科省の判断のようだ。

そして、このブログでも何度も取り上げた「子ども輝き条例」も、少なからず安倍氏の教育理念の影響を受けている。前文でいきなり「郷土の自然、文化、歴史を継承し」する存在としての子どもが登場する。素案になかったこの文言は、教育基本法改正派であり、「戦後レジューム」からの脱却や「美しい国」を主張する徳育重視の国家観を持つ方々からの要望で入れられたものだろうが、私は違和感を持つ。「郷土の自然、文化、歴史を継承」することそのものは危険は孕みつつも、否定はしないが、それらが子ども自身の存在そのものより優先されるのだろうかと。世界を見れば、歴史や文化は、国や時代によって子どもの身体や心を痛めつけてきている現実もある。

その他、第5条では大人が「子どもに教え伝えること」が規定されているが、ここには「感謝すること」、「社会の規律を守り」等々、「こんな大人に育って、社会を支えてもらわなければ」という大人側の思いが強く感じられる。「みんなが安心して大きくなれるように、お互いを大切にしてみんなでルールを守ろう」と、“子どもたち自身”が考えて実践していけるような環境作りこそが大人の責務ではないのだろうか。いつもいつも大人が上からの目線でアプローチしていく中で、子どもが自分の可能性や潜在的に持っている力を発揮できていくのだろうか。

また、第3条の基本理念で、「すべての子どもは、生まれ育ってきた状況、性別、障害又病気の有無等にかかわらず、世界に一つのかけがえのない存在であること」としている。一方、第4条の子どもたちの育ちの環境づくりでは、「すべての子どもが、可能性及び柔軟性を有する存在として、一人一人の発達段階に応じて、適切な指導を受けながら、自ら伸びていく力が引き出されること」とある。一見すると、どんな条件を持つ子どもも包含した素晴らしい表現だと思う人も多いだろうが、障害を持つ子どもたちは、この「発達段階に応じて」といういかにも“配慮する”というフレーズで、地域の学ぶ場から長い間排除されてきた。どこから指摘されたのか、このフレーズもわざわざ素案に加えられている。障害を持つ子どものお母さんが、この条例案を読んで「読み進むほどに、元気がなくなりそうです」とおっしゃるのは、障害を持つ子どもについての文言は入ってはいるものの、他の条文から読み取れる「条例が期待する子ども」と我が子とのギャップを感じずにはおれないからではないだろうか。

まだまだ指摘したい点はあるが、自民党も今議会の一般質問で「教育基本法改正内容が反映されている」とお墨付きを与えているわけだから、厚生常任委員会では多数で承認されることになるだろう。今回の条例が、残念ながら子どもの権利条約から遠く離れたものになってしまっていることは、議論不足のまま短期間で作らなければならかった事情と安倍政権下に作られたというバッドタイミングとが重なった不幸がある。

2007年09月16日

やっと実現か、口利きの文書化と情報公開

昨日の渡辺県議の質問についてのレポートの続き。今回の知事の答弁は、予想はしてはいたが理解不能なもので残念だった。しかしその中で、これまで私が2回と田上県議、竹口県議も質問してきた「口利きの文書化と情報公開」について、導入の検討に入ると答弁された。とうとう動き出したかと感慨深い。そしてこれは率直に評価したい。

聞くところによると、従前から議員や外部からの働きかけについては、担当部署で記録は取ってあるそうで、それを公開するかしないか、どのような形で出すかの問題だったようだ。今回の渡辺県議のアンケートでは、「県は口利きの文書化と情報公開を行うべきだと思いますか」という問いに、経済人86%、福祉関係者89.7%、県職員74.5%がYESと答えていた。全体では82.7%だ。いかに口利きが横行していて県政を歪めてきたかを、内外から認める結果だ。

もちろん私たち議員は、それぞれの担当部署に様々なことを問い合わせたり、依頼をすることもあり、それは仕事の一部だ。しかし“特定の人事”や“利益誘導につながる事業”への介入は、間違っても行うべきではない。アンケートへの県職員からの具体的な記述では、そんな口利きや働きかけに上司が応じて困るという記載もあった。

もちろん仕組みの網をくぐって、巧妙な働きかけは残るかもしれないので、制度の検証は行っていかなければならないが、とにかく仕組みが出来たことで少しは不当な働きかけが抑止できると期待したい。幸山市長の一期目の公約だった「口利きの文書化と情報公開」がスタートしてから、既に4年以上が経過した。時間がかかった分、この仕組みを嫌がる人たちの圧力に負けず、他自治体より実効の上がる要綱等を作ってもらいたい。

2007年09月15日

知事の政治姿勢を問う圧巻の100分間

熊本県議会の代表質問は100分間だ。私たち議員は、その間、質問者の指摘や執行部からの答弁を真剣に傾聴しなければならない。しかしながら100分間は決して短くはないので、緊張感を持続するのは容易ではない。午後ともなると睡魔も襲う。ところが14日の民主・県民クラブの渡辺利男県議の質問は、終始聴衆を引きつける質問として圧巻だった。

渡辺県議は、質問にあたって執行部に原稿を提出しない。もちろん事前に、こういう質問をするという趣旨は伝え、そのための打ち合わせは何度も持たれるが、だからと言って、質問の一言一句を執行部が知っていて、本会議場では質問も答弁もわかっているいわゆる“セレモニー”にはしない。当然、「答弁骨子」も事前にもらおうとはなさらない。今回の知事への質問についても、蓋を開けてみないとどんな答弁が出てくるかわからない状況だった。いわゆる“ガチンコ対決”だ。

今回の代表質問についてレポートしてみたい。まず渡辺県議は、「知事の政治姿勢について」聞いておられた。これは7月の参議院選挙やそれまでの国政選挙等における「自・公支持」の応援演説についてだが、「知事の政治スタンスは明らかになった。これまでも今後も自・公を基軸にするということだ。それはそれで政治家の判断だと思うし、はっきりしてよかった。しかしそれなら、『県民党』を名乗るのはおかしい」と質問。また、「定例県議会前の予算説明に、知事以下部長がそろい踏みして与党である自民党政調会で説明しているが、知事が出向く県議会は九州では熊本県以外はない。恐らく全国でもないだろう。根回しはせず、議会で論じ合えばいい。事前に承認してもらおうというのでは、自民党以外の議員に失礼であり、議会軽視だ」と。

これに対して知事の答弁は、「(どこの政党や候補者を応援しよう)常に政治的判断は『県民』を基本としており、一党一派にこだわらず『県民党』である」、議案説明については、「自民党が最大会派である背景には多くの住民があり、意見や疑問に応える必要がある。その他の会派や議員には総務部長が議案説明をしている」というもの。知事は「県民党」という言葉の意味がわかっておられるのだろうか。また予算説明については、自民党は大事だがそれ以外は総務部長と財政課でいいと公言されたに等しい。唖然としつつ苦笑してしまった。

蛇足ながら、今回の渡辺県議の質問は、「現在の国政における自民劣勢や民主台頭という状況で自公一辺倒でいいのか」という時局的な質問ではない。むしろ、「国政の状況はどうであれ、県民党というならば、首長としてのスタンスは一党一派に偏るべきではない」という点なのだ。熊本市の幸山市長があそこまで頑固にこの点の筋を通されるのとは対照的に、「自・公基軸」の知事が臆面もなく県民党を名乗っていることへの異論なのだ。決して、民主党他野党にも配慮をなどという低次元の些末な議論ではないので、誤解のないようにお願いしたい。

また、「知事の通信簿について」の質問の答弁で知事は、「ユニバーサルデザインやパートナーシップを推進している。新幹線の新駅、水前寺駅、光の森駅等や健軍ささえ愛工房、絵本の国の取組みなどは高く評価されている・・・」とご自分を評価。しかし考えてみると、国の旧交通バリアフリー法(今はバリアフリー新法)などで新駅設置や既存駅の改修では縛りがかかっており、どの県でもUD・バリアフリー化はやっていて当たり前のことだ。健軍ささえ愛工房は、3億円近くの県税を投入しての施設だからハード面が立派なのは当たり前だが、運営を請け負ったNPO法人にとっては大変厳しい状況が続いている。また「絵本の国」に至っては、思い入れはおありだろうし、子どもの成長にとって絵本が大事で、観光資源としても活かせるという点は十分理解するが、自己評価で例に挙げるほどのことだろうか。また、この絵本の事業は総合政策局企画課特定政策推進室の主管で行われているのだが、これが県の“特定政策”なのかと私には合点がいかない。

さて、渡辺県議は今回の質問にあたり、県職員(潮谷知事以外の知事も知っている在籍10年以上、定年前までの100人)・経済人・福祉関係者各々100名、計300名に潮谷県政についてアンケート調査を行った。ご自分では「追い風参考程度」とおっしゃっていたが回収率は50%だから、十分アンケートとして意味を持つ。また、知っている人に行ったアンケートではなく、回答者も特定できないよう匿名での事務所宛の返信用封筒が準備されていた。(中には、「こんなアンケートを待っていました。渡辺県議、ありがとうございます」というものも。)アンケートの集計に際しては、今回議会質問がない私もお手伝いさせていただいたが、記述式の質問の回答では驚くような意見も多数あった。特に厳しかったのが県職員と経済人だ。主立った意見はこれからまとめられるようなので、出来上がったらこのコーナーでご紹介したい。

渡辺県議は「子ども輝き条例」についても質問なさったが、私がこのコーナーで指摘していると同じスタンスでの質問だった。子どもの権利条約にある“権利の行使主体である”という「子ども観」を紹介し、知事の子ども観は?と聞かれた。知事は、ルソーがエミールの中でどうの、日本の誰それがどうこう言っているなどと言及されていたものの、率直なご自身の子ども観は伝わってこなかった。自分の経験から形成された子ども観を述べられればよいはずだ。

また、条例素案作りでパートナーシップが実践されていないという渡辺県議の指摘には、十分に話しを聞いたと言い切られた。答弁では、私が担当課に紹介した研究者の方々やその皆さんが招集した子どもたちから話を聞いたとこともカウントされていたが、結局はその意見も反映されておらず、担当課が2回の意見聴取会後に作った素案から殆ど変わっていない。知事はそのことをご存じなのだろうか。もしそうだとしたら、答弁は苦しい言い訳というか、堂々たる詭弁ではないか。

さて、それにしてもいつも感心するのは、渡辺県議は質問にあたり、毎回テーマ毎に予断なく関係者に直接意見を聴き、関係資料や書籍を読み込み、客観的な洞察を加えられることだ。野党の代表質問なのだが、自民党の議員はヤジも飛ばさず、後ろから二列目の私の席から見ていても皆真剣に聞き入り、何人かの議員は後で「渡辺先生の質問はよかったなあ」と言っている。与野党で視点は違っても共有する思いもあるのだろう。県政界はフクザツだ。

熊本県政は今大きな転換点にある。川辺川ダム、水俣病問題を始め難しい問題も立ちはだかっている。新幹線全線開通後を、明るい見通しで論じられない不安もつきまとう。185万県民のトップの仕事は簡単なものでない。だからこそ、国政選挙でも現れている県民の思いも慎重に受けとめ、県民党というのなら本当の意味で一党一派に偏らず、議会との緊張感を恐れず県民にとっての議論を切磋琢磨していこうとする知事であって欲しい。そういう姿勢を県民も県職員も切に期待しているのではないだろうか。「もうそんなこと期待していない」とあきらめているのだろうか。そうであれば、県職員のモチベーションは上がりようがない。

2007年09月14日

子どもの権利条約をもっと勉強しよう

私がダスキンの研修を終えてアメリカから戻った頃だから1992年だったと思うが、「子どもの権利条約批准熊本の会」から、障害を持つ立場で、条約の勉強会で発言して欲しいと要請があり、何度か参加した。その頃、政府に批准を働きかけるために、法律文で読みにくい条約の内容をわかりやすい日本語にして広めようという運動が全国的に起こっていた。その土地の方言で様々な翻訳文が生まれ、もちろん熊本では肥後弁でも意訳されていた。熊日新聞でも特集されていた。ちなみに子どもの権利条約は、1989年の第44回国連総会において採択され、1990年に発効し、日本は1994年に批准している。

あれから10年以上が経過している。日本の子どもの置かれている状況は、条約の批准によって改善できたのだろうか。残念ながら首を縦に振るわけにはいかない。政府はこの間、国連に、その実施状況を2回報告しているが、児童虐待防止法や出会い系サイトへのアクセス規制法等一部法整備もなされているものの、根本的な「子どもの位置づけ」や「子ども観」は大きく前進していないのが大変気がかりだ。主人公を子どもとした施策が少なすぎる。いつも大人の思惑がつきまとう。「『健全』に育ってもらい、私たちの老後、次世代を担ってもらいたい」という思惑だ。

今回の熊本県での「子ども輝き条例」などはその域にとどまっていると言わざるを得ない。もともと、少子化対策課が主管していること自体が、子どもの権利条約と矛盾している。特にこの間、条約の浸透に努めてこなかった文科省とその影響下にある各教育委員会の責任は重い。いまだに、体罰やいじめが蔓延る環境に子どもは存在し続けている。親の子育て力も急速に衰えているが、だからこそ、学校が安心できる学びの場、育ちの場でなくてはならないはずだ。本来なら、教育委員会こそが「子どもの人権」条例を作りたいと起案してもいいくらいだ。

私たち人権や当事者のエンパワメントを信じる運動団体や研究者は、丸刈り問題や虐待、体罰など事ある毎に「子どもの目線」、「子どもの立場」でもの申してきたのだが、条約の理念を広めることも含め、その方法も練り直していかなくてはならない。国連から日本は、条約に批准したものの、「いじめ」による子どもの人権侵害が後を絶たないことを指摘され、決して子どもの人権が尊重されている国と思われていない現状を、何とか打開していきたいものだ。

今日、民主・県民クラブの渡辺県議が代表質問で、「子ども輝き条例」について質問する。この条約は、国連で確認された最低限各国が守るべき「子どもを権利行使の主体」とした約束事だが、本県の条例案は子どもの権利条約のそんな基本的理念が踏まえられておらず、つまみぐいで一部を盛り込んだだけの条例案だ。多数を持つ自民党が問題意識を持たないなら、このまま条例は通ってしまう。極めて悲観的な状況だ。

先日の熊日新聞でも、研究者と県の主張を並記した記事が出ていたが、県の主張にかなり影響を受けたのか、記者は「少数の意見にも配慮すべきでは」とコメントしていた。「おいおい、私たちは少数派扱い?そういう問題ではないでしょう」と肩の力が抜けた。少数・多数の問題に矮小化してはいけない。

子どもの人権に関する世界の最低限の約束事を反映させるべきで、よりよい条例にしたいという思いからの、今回の研究者・実践者の皆さんの行動だ。もっと条約の制定過程と理念を、誰もが時間をかけて勉強する必要がある。そうでなければ、子どもたちは苦しみ、悩み続ける。折角作る今回の条例なのに、子どもたちが笑顔で安心して育っていける環境作りの条例ではなく、結局、少子化対策条例なのかなとの懸念は残念ながら払拭できない。

2007年09月12日

あっけにとられる首相の辞任

今日、安倍首相が辞意を表明した。野党議員はもちろん、与党議員や閣僚までが唖然としている様子がニュース番組で映し出され、自民党はここまで末期的かつコントロール不可状態なのかと深刻さが透けて見えた。

首相の最後の会見演説で、「民主党の小沢代表が会ってくれない・・・」と悔やんでみせる件には、「あらあら・・・、この人どこまでお子様なのか」と哀れみさえ感じた。所詮、力量以上の任が転がり込んできて、どんなにうまく立ち振る舞おうとしても、次々にボロが出てきてしまったのだろう。奇妙なカリスマ性を持つ小泉元首相の後継としては、荷が重すぎたようだ。

加えて、復古的国家観を“美しい国”という表現で国民に押しつけつつ、タカ派の急先鋒として“憲法改正”へと突き進もうとしていた独善的やり方にも、違和感を持つ国民も多かった。後任の首相について、小泉氏再登板を求める声もあるやに聞くが、政治スタイルは異なっていたにしろ、小泉・安倍の流れは先の参院選で否定されていたことからすると、もうご免だ。それにしてもこんな茶番を見せられては、いよいよ日本の政治改革を本格的に進めるしかない。

11日に開会し、熊本県議会は明後日から代表質問が始まる。当然、激震の影響は少なくないと思うが、国に振り回されることなく、足下の県民生活に視点を置いて、審議・論議を進めていかなければならない。

2007年09月10日

韓国の食を楽しむ

ソウル滞在中は、南大門市場やソウル駅に近いヒルトンミレニアムホテルが、日本からの参加者の宿泊ホテルだった。ここは一度、花博で県議会で訪れた時も宿泊したと記憶している。ホテルでの食事はとても高く(デニッシュが一個1400円!)、朝はコンベンション会場に着いてからコーヒーショップで取ったり、夕食はホテルの近くの韓国食堂で取ったりした。ラッキーなことにメニューが写真付きだったので、「イゴ(これ)」とかで切り抜け、「アジョッシ、ケサンソチュセヨ(計算書をお願いします)」とかドラマで見聞きした韓国語を試して使ったりして楽しかった。(^o^)v

プルコギもテジカルビ(豚肉の焼き肉)も、サムゲタン(丸鳥のスープ)も安くて美味しい。私はこれらを頼むと必ずついてくる小皿のお総菜が気に入っている。キムチ、ナムル、野菜の酢の物等々。そして焼き肉には必ず大量のサンチュも付いてくる。「日本よりかなり野菜食べてるよね~」とかいいながら、健康的だと納得させつつ、皆さん箸が進むこと。ビールや焼酎(ジンロ?)も適当に飲んで、お腹いっぱいになって、なんと一人2200円くらい。南大門市場の屋台に行けば、更に半額くらいになるのかも。食べ物は安い。

幕張メッセよりやや小さく、グランメッセの3倍ほどのコンベンション会場では、いくつもの展示会(農機具、車等々)や研修会が同時開催されていた。だから昼食時ともなるとごった返す。私たちが何度食べても厭きずに、満腹感が得られたのがやはりビビンバ。白いご飯の上に、胡麻油の効いたナムルや葉物野菜、目玉焼き、韓国のりと極めつけのコチュジャンを入れ、これをしっかり混ぜ合わせて口に運ぶと、日本で食べるのとはまた違った美味しさに顔もほころぶ。これが450円くらいだから更に満足。日本からの知人は冷麺を頼んでいたがその辛さには閉口というか、ヒリヒリして口が閉まらない様子だった。

そんな韓国も、必ずしも皆が辛いものが好きだというわけでもないらしい。更に、アメリカ系のファーストフード店がご多分にもれず増えてきているので、若者の食の変化も進んでいるようだ。韓国料理もそうだが、日本食も野菜をたくさん使い、味噌や納豆など発酵食品も取り入れてきた。そんな食文化は大事にしたいものだ。そう言えば、「おみやげに買ったキムチを一晩冷蔵庫に入れておかなかったら、入れ物のビニールがパンパンに膨れあがった」と同行した知人からメールをもらった。発酵食品は生きている。初秋のソウルからまだ30℃以上ある熊本にやってきて、キムチも驚いたかな。

2007年09月07日

ソウルはもう秋

5日から8日まで、DPI(障害者インターナショナル)世界会議ソウル大会参加のため、日本を離れている。アジアやヨーロッパなどから約3000人が参加、そのうち隣国の日本からは300人ほどが参加している。会場はソウルからシャトルバスで1時間のKINTEXというコンベンション会場。5日、6日はあいにく雨が降り肌寒いほどで、35℃の残暑の熊本から10月の熊本に来たかのようだった。今日は晴れて少し温度が上がりそうだ。

さて、今日は大会3日目。昨日私は、午前中の分科会のうち「政治参加」でスピーカーとして発表した。要旨(アブストラクト)は英語で事前に出していたが、日本からの参加者も多いかと思い、日本語で話そうと思っていた。ところが、英語も日本語も母国語でない韓国人の同時通訳者は、専門用語も多い中、うまく日本語が英語にならないようなので、急遽英語で話すことにした。

話す内容は、国会や地方議会での障害者の参加の実態と課題等。発表については予め原稿も用意していたが、質疑応答ではどんな角度から質問が来るかわからないのでやや緊張した。なかなか重要な指摘もあってとても有意義だった。たとえば、
問1) 政府や団体などは障害者が選挙に出る際に財政的な支援をするのか?
答)ない。ただ私のように労働組合などが組織として推薦をする場合もある。草の根での挑戦も勝利してきているが、政党ももっと候補者を出すべき。
問2)次の世代が政治に関心を持ち参加していくための取組みは?
答)大きな課題。議員インターンシップなどで障害を持つ学生なども受け入れたい。
問3) 障害を持つ人が議会に出て、その議員があらゆる障害者のニードを代表するのは難しいと思うが、どうしているのか?
答)各障害者団体等との繋がりを持ち、日常的に話を聞いている。
問4) 選挙に出る際、障害者だけでなくこれから更に増えていく高齢者なども巻き込んではどうか?
答)全く同感。実際私を支持してくれる方には高齢者の方たちも多い。
等々。質疑の時間が十分でなく、言い尽くせないこともあったのだが、改めて今回の分科会参加で今の自分の立ち位置を確認させてもらった。今後、日本での活動に活かしていきたい。

これから「障害女性のネットワーク」の分科会に参加する。報告は追って行いたい。

2007年09月01日

福祉利権の闇

福祉の世界が善意と正義で成り立っていると信じている人は少なくない。もちろん、不十分でちぐはぐな福祉制度が問題になる中でも、先日このコーナーで紹介したとら太の会の山下順子さんを始め、額に汗しながら採算ぎりぎりか度外視して実践している多くの方々によって支えられている。

だからこそ、報道されている前厚生労働省九州厚生局の、権限を持つ立場を利用した社会福祉法人への便宜供与と金品の授受には怒りを感じる。そして、私が障害を持ち、福祉の世界に足を踏み入れてから、上述のように頭が下がるような皆さんの取組みとは別に、この世界には、公共土木工事による利益誘導と何ら変わりのない「福祉利権」の闇があることが、徐々にわかってきた。このことが、あまり知られていないこと自体が問題だ。

今回の事件は、厚労省の松嶋賢前局長が社会福祉法人「枚方療育園」の山西悦郎前理事長から乗用車や現金を受け取ったとされているが、この二人、義理のいとこ関係だから問題がないと言い通すつもりだったようだ。行政や法人というそれぞれの立場で、同族や近親者が互いの利益のためにその権限を利用することが、税金の着服(税金泥棒)になることが感覚的にわからないのだ。その一方、低賃金の福祉労働を強いられたり、税金に見合うサービスが提供されているのだろうかと疑わしいケースも、障害、高齢、児童福祉の分野にはある。納税者はこの事実に向き合う必要がある。

厚生労働省の舛添大臣はこの事件についてコメントを求められ、社会福祉法人を“業者”と表現していたが、まさにそうだ。行政と“業者”の癒着だとしっかり捉えなければならない。“業者”である人は、議員や首長である場合もある。その立場を利用し、行政に影響を及ぼし(圧力や権限を利用し)、施設改修や増床に優先的に予算を付けさせたり、時代に逆行する必要もない入所施設を作らせたりする。議員になってから、何故か“福祉に目覚め”、親族に社会福祉法人を取らせ、業者にする人もいる。議員や首長である人は、その立場を利用して、行政が本来持つべき公平で合理的な判断に横やりを入れる。コンプライアンス逸脱以外の何ものでもない。

私は1991年創設から、ヒューマンネットワーク熊本のメンバーとして活動してきた。議員になってからというもの、行政への口利きと取られかねない行動や発言は厳に慎んできた。自分が議員という立場である以上、より一層自制しなければならないと思ってきた。もちろん、個別のケースについて行政の不作為や制度利用の可能性について問い合わせたり、長期的展望にたった提案はしてきたが、団体への利益供与を求めたことは一度もない。幸い、ヒューマンネットワーク熊本には何より当事者の立場にたった相談業務や対応やサービス提供など実践があり、着実に大人の団体へと自立の道を歩んできている。

それにしても、福祉に地道に取り組んで来られた多くの皆さんを思い起こすとき、福祉という美しい言葉で一般国民の皆さんの目を眩ませ、しっかり利権で私服を肥やしていく社会福祉法人とその関係者、政治家、行政職員たちに好き勝手させない仕組みと透明性の確保(コンプライアンスを厳しくチェック、内部・外部通報制度の充実、口利き禁止の制度化)を進めなくてはいけないと強く思う。これらに消極的な議員や首長は政治家である資格はない。


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