子どもたちから学び続けたい [みどり日記]
10月2日からスタートした熊本学園大学・部落解放研究会共催の「水俣学」連続講座の第一回講義で、私が尊敬してやまない原田正純先生のお話を久しぶりに聞かせていただいた。先生はここ1、2年体調を崩されていて、今回は久しぶりの講義だとおっしゃっていた。熊本大学医学部の一学生だった原田さんが、水俣病公式発見前後に水俣の地で何を見、何を感じ、どう行動してきたかを、切々と気負うことなくお話しになった。
先生の話を聞きながらいつも、「この人の偉大さはどこからくるのだろう」と思っていた。今回あらためて、正直さ、予断なく物事・人に接する素直さ、決して自分を大きく見せようとしない根っからの謙虚さ、ウイットに富んだキャラクターなどが相俟って、原田正純という希有な研究者であり運動家が形づくられていると感じた。
水俣に生まれ、へその緒を通じて、母親が食した魚に蓄積されていたメチル水銀による中毒を負い、胎児性水俣病患者としてその後生きてきた人たち、また不幸にして命を既に落とした人たち。私(1958年生まれ)と同じ世代の人たちだ。“奇病”を発生させた水俣湾の魚は売れなくなり、漁もできなくなった漁村は極限の貧困状態にあり、胎児性の子どもたちは、あばら屋に糞尿まみれで寝かされていたそうだ。診察したくても、軒下にさえ入れてもらえない日々が続いたが、原田さんは足しげく通い、「この人は私たちに向き合ってくれる」と、やっと村人に受け入れてもらえるようになった。
原田先生は、何度も「私は水俣に、そして患者さんたちに、胎児性の子どもたちに様々なことを教えてもらいました。今私がこうしているのは、水俣の患者さんたちに育ててもらったからです」と穏やかにおっしゃっる。最後の質疑で若者がこう質問した。「具体的にはどんなことを学ばれたのでしょうか?」それに先生はこう答えた。
「ある裁判の判決が出る時、患者さんたちが上京することになりました。その時あるお母さんが『こん子も行きたいたかて言うとります』と胎児性の子どもさんの声を代弁しました。言葉を持っていないその子が意思を持っているとは誰も思わず、体調もよくないだろうからと周囲の人たちは母親を止めようとしました。でも、『ねえ、行きたかもんね?』と母親が言うと、その子は体を大きく揺らし、表情を変え意思を表しました。
また、当時私も独身で若い学生だったのですが、ある人が『先生、この子(女性)が先生の写真ば欲しかて言うとります』と。写真を持ってくると、次の時にはベッドサイドに私の写真が貼ってありました。私たちは、胎児性の子どもたちの姿形、そして言語を持っているかなどに囚われ、彼らが持つ豊かな感情や豊かな世界に想像を巡らす力が足らなかったのです。恥ずかしく思いました」と。
この話を聞きながら、障害が重い子どもたちに、ここまで一人の人間として敬意を持って接することができる大人が目の前にいることを心から感謝しながら涙が溢れた。会場の受講者の中には大きな肩を揺らし、すすり泣く男性やハンカチを目に当てる女性も。それでも先生は穏やかな笑みを浮かべながら、淡々とお話になる。
この前日の10月1日、9月定例県議会では「熊本県子ども輝き条例」が本会議で採択された。私と西県議の二人が採決を棄権し、残りの自民党や民主・県民クラブなどの県議たちは賛成に回った。代表質問で、条例についてかなり厳しく潮谷知事を追求された渡辺県議も賛成に回られた。理解に苦しむが、高度な政治的判断なのだろう。私は皆さんのそれぞれの判断は尊重したい。私自身は信念に基づき、筋を通して棄権した。
この間、この条例についてはブログでも度々取り上げ、問題を指摘してきた。条例そのものを作ることには何ら異論はないし、歓迎したいくらいだ。しかし、今回の条例の策定プロセスにおいては、協働ができておらず、わずか4ヶ月あまりで行政主導で書き上げられているし、その内容は、子どもの権利条約では皆無の優性思想が散見され、前述の原田正純先生の目線などは感じれない。大人のご都合主義がちりばめられている。到底賛成できるはずもない。結果、全会一致で賛成とはならなかった。棄権したのは「条例を作ること」そのものは否定しない、私の仏ごころだ。(反対したかったのだが、議事整理上の行き違いで出来なかった)
議員たちの中には、子どもの権利条約に思いを致すことなく、「子どもの条例に反対はできない」とか、「条例に問題はあっても、その後の取組みが大事だ」とか、様々な判断があったのだと思う。しかし、何をするにも理念になる条例がこれでは、今後の取組みが子どものためになるのかとの疑問は残る。パブリックコメントや子どもから後で聞いた意見も、殆ど採用されていない。そもそも子どもが読んで理解出来る内容で、子どもたちに彼らの思いがこもった条例だと思ってもらえるとは考えられない。
しかし今回の取組みで、子どもの目線に立ち、子どもからも学ぼうという大人が、熊本に少なからずいらっしゃることにも心を強くした。ネットを媒体に2週間で募った賛同者は150人にも及ぶ。今後は、子どもの権利条約を踏まえた具体的な施策や、子どもの人権オンブズパーソンなど救済につながる仕組みを書き込んでいけるよう、県下の市町村の条例づくり、計画づくりに働きかけていこうと、今回問題提起した皆さんたちと確認し合った。
人権への感覚の希薄さや古い価値観が蔓延っている熊本という土壌ではあるが、一喜一憂してはいられない。以前このブログで紹介した障害を持つ子どものお母さんの「この条例で私の子どもなどはどんどん社会の隅っこに追いやられる感じがする」という指摘を重く受け止めて、この条例をウォッチしていきたい。こうしている今でも、身体的、心的な攻撃を受けたり、学びの場、意見や思いを口にする機会や生きる場そのものを奪われている多くの子どもたちがいることを肝に銘じ、今後も”オンナこども”や”社会的に弱い立場の人たち”の問題にこだわり続け、今の県議会にあっても連帯の希望を捨てず、ごまめの歯ぎしり議員を続けていきたい。