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2008年03月25日

蒲島知事誕生に思う-その(3)

25日付けの熊本日日新聞に、熊本大学教授の鈴木桂樹氏の今回の知事選に関する論評が掲載されていた。鈴木教授の分析については概ね指摘の通りだと思うし、今後の新知事の課題、期待することについては、大変示唆に富む内容だと思った。ただ2点だけ、私と見解が違う点、事実と違う点について書いてみたい。

まず記事で、前回の知事選について「県民主役の選挙を目指した潮谷知事に不快感を示した自民党。今回は自ら県民党的立場を強調し『勝手連』にまでなった」とある。

これについては、私も驚くほどの自民党の変わりぶりであることは認めたい。しかし、熊本市長選や参議院選と続いてきた連敗を避けたいという思いと同時に、熊本が閉塞感で覆われている今、尊敬を集め、新しい展開をもたらす知事が必要で、その人が望むなら推薦・公認もしない新しいやり方も可としたということではないだろうか。「自ら『勝手連』にまでなってしまった」結果、ウィングを広げたという意味で、それが功を奏したことは事実だ。

ただ、今回と潮谷知事2期目の状況を簡単に比較できるのだろうか。1期目を終え、県政の仕組みや課題を熟知していたはずの潮谷知事なので、自民党の推薦を毅然として断ることはできたはずだ。あの時点で、県民の潮谷知事へ人気は高く、相手候補は泡沫で勝負にならないことはわかりきっていた。推薦が無ければ勝てない選挙だったはずがない。しかし結局推薦をとらされた。知事がイニシアティブを取る本当の意味での「県民党」の選挙と、その後の母体が出来たはずの2期目であったのにと、私には不思議でならなかった。

その後、推薦の重みの影響か、自民党や公明党の国会議員への選挙応援で、度々マイクを握られた。また、昨年の9月県議会で、議会前の自民党への予算説明に、知事が三役と執行部を引き連れて同席する在り様を渡辺県議が指摘し、「全国でもほとんどない。県民党といいながらマスコミも入れない議会前の自民党とのやりとりは、談合と言われても仕方ない」と問われたの対し、潮谷知事は「多様なニーズ、さまざまな立場を持つ県民の方々の投票によって、より多くの県民の負託を受けた最大会派には、その背景に、それだけ多くの地域住民の皆様が存在し、県政全般にかかわる意見、疑問あるいは提案があるものと私は認識をしております。その最大会派に対して私自身が説明を行うことは、背景にある県民に説明していることであり、意見や疑問に対して答えるのは必要と考えております」と、自民党への配慮は当然だと答弁されたことは記憶に新しい。

2点目は、8年前の前々回の選挙だ。記事には「潮谷氏個人の経験と人柄を認めつつも、『利権狙いの自民党』が推すゆえに不支持を表明した野党系県議。今回は、その自民党が推す候補者をその経験と人柄ゆえに支援に回った」と私たち3人のことを書いてある。後段の、蒲島候補の経験と人柄が支援の大きな要素であったことは間違いない。しかし、前段は事実と異なる。渡辺県議や鬼海県議は知らないが、少なくとも私は、「潮谷氏個人の経験と人柄を認めて」いたわけではない。もしそんな確信があったなら、潮谷支援に回っていただろう。そもそも副知事と議員として何度か接しただけだったし、私の活動に関わっていた学生で施設実習を経験した人たちや福祉関係者からの情報も様々だった。だから積極支援する気持ちにはなれなかったというのが事実だ。

8年前は、既に財政は厳しい段階にあったが、「利権狙いの自民党」はまだ健在で、県行財政改革をという阿曽田陣営の主張は一定受け入れられたが、潮谷陣営には及ばなかった。今回はどうだろうか。まだまだ口利きや利権は一掃されてはいないが、かつての規模の御利益は望めないと「利権狙いの自民党」ですら思っているのではないだろうか。ましてや推薦を取らずにすんだ蒲島氏は、「口利きや要望の文書化と情報公開」、「選挙応援はしない」等々マニフェストで書くことすらできた。

投票率が低い要因としての政治家の見解が変化したためという件で、「まじめに耳を傾けてきた有権者にとっては投票箱が疎ましく見えても不思議ではない」とある。それはあるだろう。県議会の動き、変化も含めて、議員の判断が状況に応じて変わることはある。そして一般県民に、そこはなかなかわかりづらいだろう。できるだけ私自身、このブログで考え方を書いてきたつもりだが、いつも私に投票してくだっている後援会以外の支持者でPCアクセス環境にない方たちに、タイムリーに思いを伝える術を見いだせないことに苦慮している。今朝も「新知事がダムで推進と結論を出したら辞職せよ」という電話をもらった。県政はダム問題だけではないですよと言いたい。現に今回、有権者全体が考える最重点課題は、財政再建、医療・福祉、産業や農業振興であり、川辺川ダム問題は5.3%だった。もちろん、ダム反対かと問われれば6割の方が「Yes」と答えられるし、私はこれまで通りダムを止めるという立場で、9月県議会に向けて全力を尽くすつもりだ。

いずれにしても、鈴木教授が指摘しておられるような「期待と可能性を秘めて船出する蒲島県政」を、「期待と可能性を”実現する”蒲島県政」にすることが、何より不安をお持ちの方に応えることだと思う。

2008年03月24日

蒲島知事誕生に思う-その(2)

選挙期間中、一日だけ朝から夕方まで、候補者と一緒に選挙カーで熊本市内を回った。17日間という長丁場で、初めての選挙、それも実質的には県内各地にいる自民党県議が後援会や支持団体を県内中引き回すという選挙だったので、さぞや心労も多かろうと想像していた。しかしどうしてどうして、蒲島さんはいい意味で大物であり、精神的にもタフな人であり、楽観的な人だということが、この1日で更によくわかった。

その日は、自民党の友好団体が選挙事務所に集まり、選挙運動に出掛ける日だった。候補者として、そこで挨拶をするため、選挙カーは事務所に戻った。そこ20分ほどだったが、私は選挙カーから降りずに、様子を眺めていた。国会議員のアジ演説やガンバローが聞こえていた。演説も終わり、蒲島さんが選挙カーに戻ろうとする時、ある自民党の強面議員が蒲島さんの肩を叩きながら、眉毛を逆八の字(幸山市長と逆の10時10分)にして何やら言っている。

そうこうしていると蒲島さんが戻ってきて、ウグイスさんたちに言った。「悲愴感が足りないって言われました。でも楽しく明るくやらないとねえ」と。思わず吹き出してしまった。ウグイスさんたちに聞くと、「蒲島先生はどんな場面でも決して激昂したり、声を荒げたりなさいませんよ。私たちにも常に穏やかに、丁寧に接してくださって、裏表がないんです。たとえば、『飲み物いかがですか?』と聞くと、『ありがとう。今はいいです』という具合に、必ず『ありがとう』と言われます。こんな方が知事にならなければと思いながらやっています」

「悲愴感を出して」とか、「泣き落としや絶叫をもっとしなくては」と、自民党の関係者から、選挙カースタッフや候補者は何度か言われたようだ。しかし幸山選挙を経験したリーダー格のウグイスさんは「そんなことはしません」ときっぱり。自民党の若手はわかっていると思うが、悲愴感、泣き落とし、絶叫、土下座、こんなことをやってきたから、有権者が自民党から引いてきたのだ。もうそんな時代ではないし、有権者の見方は変わってきている。いいかげん学ばないと。

さて、この日の午後、蒲島候補と私たちは市内のアーケード街をパレードした。道行く人に駆け寄って、握手を求める候補者。そんな時、突然ある中高年の女性が、握手を求めた蒲島さんに唾を吐きかけた。周りも驚いたが、何より候補本人が驚愕としたようだ。かくも選挙戦とは厳しいものかと思いながらも、その後も蒲島さんは遊説を続けられた。私はこの場面を直接見てはいないが、その時の様子を後で聞いた。その晩、ある事務所スタッフが「蒲島候補はあの一件の後、かなり落ち込んでおられました」と聞いた。そして、私は蒲島さんの携帯にメールを送った。

「蒲島さんが唾を吐きかけられた件ですが、他の候補者の支援者で蒲島さんに対して悪意を持っていた可能性もありますが、別な見方をすれば、何らかの対人障害を持つ方だった場合もあると考えられます。選挙では、望まないのに握手を求められると感じる方もおり、特別なシチュエーションです。障害のある方の中には、自分というテリトリーに土足で踏み込まれると思い、半ば恐怖を感じてしまう方もいると思います。それがとっさに唾をするという形をとったとも考えられます。
 確かに選挙で握手を拒否されても、唾を吐きかけられたケースは殆ど聞かないのですが、地域の中には様々な障害や困難を抱えて暮らす人たちもたくさんいることを頭の片隅に置いていただくとよいと思います。ですから必ずしも選挙での確執として捉える必要はないと思い、メールさせていただきました」

翌朝の蒲島さんからのメールには、「有り難うございました。今、泉村にいます。メールをいただいて少し気が楽になりました」とあった。今後も、障害のある方とは異なり、意図的に敵対心をあらわにする人と出くわす場面もあるだろう。でもこれからも、“バイアスをかけて人を見ない蒲島さん”であり続けてほしい。

2008年03月23日

蒲島知事誕生に思う-その(1)

17日間の熊本県知事選挙が終わった。3月23日、今日は投票日だ。桜が開花した昨日のように、そのまま何とか花曇りが続いて欲しいと願ったものの、天気予報通り今日は早朝から夕方まで雨が降り続いた。かなり雨脚が激しい時間帯もあり、有権者の出足は厳しく、前回は上回ったものの、結局投票率は49・36%。二人に一人が参加していない選挙とは残念だ。雨も影響しただろうが、5人の候補は浮動票への訴えが弱かったのだろうか。

さて、今回の知事選では事前調査や出口調査などで、既に蒲島郁夫さんが他の4候補をリードーしていためか、当確は投票終了時間とほぼ同時に打たれ、あっという間の勝利宣言となった。これから4年間の県政の舵取り役となる“蒲島郁夫知事”誕生が決まった瞬間だ。

正直、喜びもさることながら、これから4年間の県政のドラスティックな動きを期待しつつ、県政課題の解決に議会としても責任を持って取り組まなければならないことを考える時、自分の改選後とはまた違って身の引き締まる思いだ。

小泉政権時に強行採決された数々の悪法の影響や、地方分権とは名ばかりの国の地方切り捨てが続く中、県政においては職員も議員も叡智を結集していかなければならない。行財政改革、川辺川ダム問題、水俣病問題などは解決へと導き、結果を出さなければならない。蒲島知事率いる県執行部も、私たち県議会もおちおちしている時間はない。

さて今回の選挙の総括は、マスコミを含めて今後行われるだろう。5候補の選対も、冷静に総括する必要がある。私も何回かに亘って、今だから言えるということを含めて、このブログで私なりに今回の知事選を振り返ってみたい。

昨年12月の蒲島氏への自民党の接触がわかり、出馬への可能性が取り沙汰された時点から、私は「どんな枠組みであろうと、どこがどう応援しても蒲島氏は勝利する」と直感した。ご本人がリベラルな主張をする学者であったことや著書等から、政治的な“DNA”に疑問を持つ余地はなかった。一方、特異な経歴を経て学者になっている点は、本人の人生物語を知り、直接触れた人に好感を広げていく。それに何と言っても自民党の友好団体JAの職員であった点は、保守層や農山村の有権者にも響く。だから負ける要素が無いと思った。

だから「自民党の蒲島にしては行けない」のであり、非自民系の支援の一翼を造り、当選後の蒲島氏の“リベルテ・モラル”を守らなければならないと考えた。表に出ずに応援することでは、それは効力を発揮しない。県民の目を県議会に集め、最大会派の自民党が、リベラルな知事に自分たちの意向のごり押しができないようにするためには、私も応援団の一人として「参画する」という選択をした。それもできるだけ、“自民党が出したいような候補”というネガティブなイメージが拡がらない早い段階でなくてはならなかった。

それにしても、自民党は蒲島候補を支援団体や県議の後援会関係者に紹介しやすかっただろう。最近の選挙では、党への支持率の低下もあり、どんなに自民党が働きかけても、候補者次第では反応は悪く、投票にも結びついていない。しかし今回の異色の蒲島候補は、「会ってもらえばもらうほど、ファンが増えていく」と、これまでにない手応えを感じたとある自民党県議が言っていた。

今回の蒲島氏当選の報道で、西日本新聞は、他の報道機関の「自民支援の蒲島氏当選」という表現ではなく、「無党派層など幅広い支持を得るため、党を前面に出さない『自民隠し戦略』が功を奏する形になった」という表現を使って報道している。自民党は蒲島氏が政党からの推薦・公認をとらず、無所属で立候補したいという意向を尊重し、最大ではあるが応援団の一角を占める立場を取った。何を“隠した”というのだろうか。自民党が応援しているということは誰でも知っている。推薦・公認が無い候補だから、私たちも応援団に入り、支援のウィングが拡がった。

県民の方から、「蒲島さんは無所属で、しかも政党や団体の支援の無い無党派で立候補はできなかったのか」と一度尋ねられた。しかし答えはノーだ。今回の県知事選への立候補の場合、短期間での浸透という意味では、蒲島氏さんという人を知っている一般の人はまだそんなに多くないので、当選は難しかった。一般的に、初挑戦の県知事選で、しかも短期決戦の場合、県民が候補者を知る場面を県内一円で造るということを考えると、自民党+支援各種団体あるいは民主党+労働組合などが本腰を入れなければ、当選することは不可能だろう。

さて、衆議院選挙を前に、国政における自民党への不信感が根強いことは知っているし、私もその思いを共有している。蒲島氏リードが事前調査でわかった時点でも、同じ調査で政党支持率は自民党がダウン、民主党がアップだった。つまり、県民は国政と首長選びを同一視していないということだ。しかも、県議会の最大会派が自民党であることは事実だが、国政とは異なりそもそも議会に与野党は無く、対峙していくのはむしろ国なのだ。そして、馴れ合うことなく、危機感を持って総力で熊本県を立て直していかなくてはならない。自民党の中の良識ある議員は同じ感覚でいることを、選挙を通じて感じてきた。支持がじり貧になっている今、自民党も変わらざるを得ないのだろう。

そんな中、私の今回の行動を理解してくださる方と同時に、心配してくださる方もおられ、「次の選挙は危ないよ」という声や、「どんな形にしても自民党と一緒に選挙をするとは」という声が直接的、間接的に聞こえてくる。平野みどりとくらしを政治につなぐ会の会員の皆さんには私信を送り説明しているが、ネット環境が無い方は私のブログを読んでいただけていないし、十分私の考えが届いていないことも事実だ。蒲島氏への支援は、182万県民のための4年間と未来へ継承すべき県政を考えた時、成すべくして成した選択だ。そして今回、ある意味、私は政治生命を掛けて行動した。政治生命が短いか長いかには執着は無い。決して気負っているのではないが、自分への影響を考えて保身で行動することを私は選ばない。今はただ、県議会議員の一人として、4月からの県政にこれまで以上に責任を持って取り組みたいと、気持ちを引き締めている。

2008年03月17日

匿名文書

知事選が始まる前後から、差出人不明のハガキや手紙が数通届いた。激励の手紙やメールはすべて記名されているが、この手の郵便物は私に対しての“助言”や“警告”のようだ。中には、その内容から差出人層や人物がおおよそ特定できるものもある。内容は推してしるべしとして、ここではつまびらかにしないことにするが、こんな文書を送りつけて何になるのだろうと呆れるばかりだ。

議員をしている関係で、どうしても名乗れず匿名で行政の不作為などを投書する方はこれまで何度もあったが、基本的に匿名文書は、内容の真偽を確認したり、対応を報告も出来ないので、特例を除き無視することにしている。ましてや今回のように、どうどうと名前を出して意見することをせず、匿名という卑怯なやり方をとる人については言わずもがなだ。“いじめ”ているつもりなのだろうが、全く意に介していない。

また、私のホームページのブログを勝手に歪曲した特定の人を攻撃するための怪文書を見たと伝え聞いたことがあるが、言語道断、迷惑千万だ。私はこの手の文書発信には一切関係ないし、怪文書ほど卑怯なやり方はないと考えており、そんな暇があれば、自分が支持している人のよいところを少しでも多くの人に伝えることに時間を割くべきだ。

アメリカに住んでいた頃、製品のCMなどでよく使われる比較広告は、度を過ぎなければ合理性もあるやり方だと思っていた。しかし選挙でのネガティブキャンペーンについては、大統領選を始めとするアメリカの選挙ではよく使われているが、決して有権者を勇気づけることにはならず、支持している人やグループがそんなことまでやるのかと引いてしまうと、アメリカの友人から聞いたことがある。選挙に激しいせめぎ合いはつきものだ。しかし人間性を疑う“卑怯なやり方”だけはご免被りたい。

2008年03月16日

選挙サンデー

福祉関係の雑誌から依頼されている原稿の締め切りを失念していた。知事選も残すところ後1週間だから、こちらも時間との闘いとなっており、手を抜くわけにはいかない。とにかくなんとか時間を見つけて原稿書きにも対応したい。

今日は選挙サンデー。天気も春らしくなり汗ばむほどだった。私は選挙カーに同乗して、ウグイスさんのお手伝いをしつつ、同行した渡辺県議、大西県議と共に熊本市内を回った。午後には、候補者の後援会“熊本に夢の会”の皆さんと共に上通り、下通りの繁華街をパレード。東大の教え子さんや候補者が顧問として20年近く係わっている松下政経塾の門下生も、恩師の応援に駆けつけた。

それにしても選挙の度に感じるのだが、「日曜だというのにこれくらいの人通り?」と思わずにはいられないほど、郊外へと人が着実に動いている。営業を止めている店舗も目立ち、「一体どうなっていくのか」と今更ながら心配になった。目まぐるしい世の中の変化に、地方都市も巻き込まれているが、そんな時代の知事の資質に私たちは何を優先的に求めていくのか。候補が訴えている「県民総力戦で取り組まないと、特に周回遅れの熊本はどんどん取り残されていく」という主張を実感する。

さて大学の講義と選挙での演説は違うが、当初指摘されていたおっとりした先生口調も変化し、今や「候補者」としての情熱がみなぎった迫力ある演説になってきた。特に中高年の皆さんからの支持は抜群のようだ。投票する人を決めていない有権者の皆さんはまだまだ多い。その方たちの選択に叶うよう、なんとか頑張っていきたい。

2008年03月08日

姜尚中さんの熊本への熱いメッセージ

昨晩は、私が尊敬する姜尚中さんの講演会に参加した。最新の世界の動きと日本の今について、姜さんならではの情報ソースと分析により、いつもながらの淡々としつつ切れのある口調で、約2時間話された。しかしそんな長さを全く感じさせないほど、お話は引き込まれるものだった。私個人としては、姜尚中さんのお話を直接お聴きするのは今回で3回目だ。

昨日の講演会は、済々黌高校の同窓会である多士会主催の市民公開セミナーだったが、熊本で生まれ育った姜さんも卒業生の一人だ。高校の時は、韓国名ではなく永野鉄男さんと名乗っておられたが、大学生の時にもともとの韓国名姜尚中で生きていくことに決めた。そこに至る経緯や思いは著書の「在日」に詳しい。

私がファンであることはこのブログでも何度か書いているが、時々お邪魔する二本木の「東庵」の店主飛岡千尋さんとは、高校、大学の同級生だそうで、行けば姜さんのお話で盛り上がる。しばらく前に数十年ぶりの再会を果たしたと飛岡さんから電話をいただいたが、とても喜んでおられた。

さて昨日の姜さんのお話は、「世界の中の日本、東アジアの中の九州、そして熊本」だった。折りもおり、知事選真っ只中だが、単なる地方の首長選びという捉え方ではなく、グローバルな視点、なかんずく東アジアの中の九州、熊本の今後を展望して選択すべきなのだと改めて思った。いくつかの視点を紹介する。
・ 本来は、東京の六本木ヒルズに住んでいても、地方の町や村に住んでいても、人の生活に大きな格差があってはいけない。
・ 肥大化した帝都東京が栄えることで、地方も恩恵を預かるという時代は終わった。東京の価値観や基準で地方を捉えてはいけない。
・ 東京を向くのではなく、九州一体となって経済を含めたアジアとの関係を築くべき。
・ 熊本の今後に課題は多いが、まだ十分に認識されていない豊かな熊本の観光資源をアジアへ、世界へと発信すれば、人々が訪れる熊本県になる。
・ これからは人材が大切。帝都東京に人材を送り出す時代ではない。大学で特色を出し、熊本に残る人材を増やしたり、熊本に学びに来る人を増やす。
・ 熊本の再生には、「よそ者」、「若者」、「バカ者」が必要。「よそ者」とは、外から熊本を見る立場や視点を持っている人、(姜さんのような)在日外国人などの視点を生かすこと。「若者」は、熊本で学び仕事し、地域を支える人材となる若者を増やすこと。「バカ者」は私利私欲でなく、純粋に熊本のために取り組む人たちがいること。
・ 横井小楠らを生んだ熊本。民間の「(私)塾」が増えていくことは大切。(大人が学ぶ場。異業種交流のグループ等?)
・ 九州新幹線全線開通で鹿児島、福岡の間で埋没するのではという心配には、視点を変えるべき。韓国のソウルから釜山までKTXが全線開通する2010年を捉え、半島との交流を一気に進めていくことが重要。

お話を聞きながら、蒲島郁夫さんとこれまで話をしたこととかなり重なっているなと思った。ご両人が意見交換をされたかは定かではないが、学者として学園都市熊本を構想しながら人材育成をしていくという視点、そして、故郷熊本を心から愛しながら、外から客観的に見てきた立場を活かして再生させたいという視点、県民が思う以上に熊本の観光資源は優れていて、まだ十分活かされていないという視点など、思いは共通している。

ところで、姜さんが選考委員をされているトヨタ財団が支援している事業に、熊本では「子飼商店街の街おこし」と「人にやさしいまちづくりアドバイザー養成講座」がある。このことについても講演の中で言及されていたが、後者の講座の主催はバリアフリーデザイン研究会だった。先日亡くなられた事務局長の白木力さんとは、選考過程やその後もお話しされたことを白木さんから聞いていたので、講演会直後に、私から姜さんに直接、白木さんの訃報についてお話させていただいた。愕然とされていた。謙虚で穏やかでありながら芯が強い点など、姜さんと白木さんは似通っているが、お二人もそう感じておられたのではないだろうか。姜さんのお話の中にあった、「塾(グループ)」であり、無私の「バカ者」活動とも言えるバリアフリーデザイン研究会の活動は、故人の遺志を引き継ぎ今後も続いていくだろう。

2008年03月03日

182万県民のための知事を

熊本県知事選挙が今週6日に告示を迎え、スタートしようとしている。これまでホームページのブログ(日記)で私の思いについて何度か書いてきたが、改めて私の考えを整理してみたい。

昨年秋頃から、潮谷知事が3期続投することが、果たして熊本県にとっていいことなのだろうかという疑問が、少しずつ大きくなってきた。そんな中、「では誰が?」と考えた時、新聞等で選挙分析をされたり、地元紙でご自分のエッセイを書かれたりしていた蒲島郁夫さんのことが頭に浮かんだ。何度か会派でも蒲島郁夫さんの名前を出して話題にしたことがあったが、潮谷知事が続投を表明すれば、それを上回る票を出すことはかなり難しいと思われたし、蒲島さんが東大教授を辞めて知事選に挑戦されるとも思っていなかったので、私の中では知事候補として実際に擁立を周囲に働きかけるまでには至っていなかった。この頃個人的には、死期を迎えた祖母と不安定になっていた母のことで精一杯の時期だった。

さて、思いがけず潮谷知事3選不出馬が明らかになった。そして直後、蒲島さんにアプローチしたのは何と自民党だった。民主党シンパであり、二大政党制論者で、リベラルな蒲島さんへの接触に正直面食らってしまった。「あなたたちじゃないでしょ!」という思いだった。彼らからのアプローチで、国政や県政について話をしてきた蒲島郁夫さんだったが、そういう接触が報道される度に、私は忸怩たる思いだった。「“自民党が推したい”蒲島さん」というイメージが先行していくことだ。

だから、私たち3人(民主・県民クラブの渡辺、鬼海、平野)は蒲島郁夫さんにまず会って、ご本人がどういう思いでおられるか、知事選に臨もうとする気持ちがあるのかなどを確認したいという思いがあった。上京して意見交換したことは、既に12月のブログで詳細に書いたが、私たちは蒲島郁夫さんの経歴・経験そのものが、沈んだ熊本に夢と希望をもたらし、一緒に難局を乗り越えていこうという勇気を与えてくれると確信を得て帰熊した。そもそも基本的な政治スタンスについては不安はなかった。

蒲島郁夫さんは、民主党が政権を取り、二大政党制が本格的に始まることを期待してこられた。しかし、知事選に関しては、政党間の対立を持ち込むのではなく、自民党の知事でも、民主党の知事でもない、「182万県民の知事」として、全力を尽くしたいという考えのようだ。議院内閣制とは違う“大統領制”の県政では、知事率いる執行部vs県議会であり、政党の枠を超えて、よりよい県政になるような提案やチェックを執行部に突き付けてきて初めて健全な議会と言える。執行部は、議会とはいい意味で緊張感ある関係を作り、議論をガラス張りにしていけばいいし、それこそが県民の利益につながる。

そういう意味で、もし出馬するならば、「政党の枠を超えて県民総力戦」でという思いを伝えられたのだろうが、「自民・民主相乗りを期待」と、マスコミは書き立て、県民はその報道しか情報源は無く、次第に「両党からの支援はむしがよすぎる」というメッセージが広がっていったのは残念だった。結局、民主党は近づく衆議院選挙への影響を考え、「蒲島氏は自民党が推す候補。民主党にとって蒲島氏は選択外」として、結局先週、鎌倉氏推薦を決めた。

これまで私たち3人は、蒲島さんを知りたいという人たちに会ってもらう機会は作ったが、労働組合関係者には一切働きかけをしていないし、連合熊本の決定をひたすら待っていた。連合本部の高木会長も、これまで講師を依頼したりしたりアドバイスをもらったりという関係の蒲島さんを、熊本でも応援できないかという思いだったようだが、熊本は複雑な状況となっているので、応援にはならなかった。ただ先週、連合熊本は「知事選は自主投票」と最終的に決めたので、それを受けて私たちは蒲島郁夫さんで動き出すことができる。

私たちは、国政と地方の知事選は別物と考えるべきだと思っている。今、熊本県には大きな課題が山積している。川辺川ダム問題や水俣病問題の解決を含め、将来への熊本のビジョン作りとそれの基礎となる財政再建問題だ。知事は様々な立場の様々な意見があるこれらの難題に、決断をしなければならない。蒲島さんは、自ら汗をかき、「夢」に向かって前進することを訴える。県職員も県民も、「夢」を共有しながら共に歩む覚悟が求められているのかもしれない。

蒲島郁夫という人は、とてつもない人脈とネットワークを持っている人だ。政治学者として培った人脈と彼に寄せる信頼により、国内あるいは世界の様々なポストに友人知人がいる。松下政経塾の顧問として講義をしてきた時の弟子の国会議員も与野党にたくさんいる。彼らは応援に来たいと言っているらしい。以前も書いたように、円より子民主党参議や福島瑞穂社民党党首など、多くのリベラルな女性国会議員たちも信頼を置いている。もちろん教え子に官僚もたくさんいるし、板東眞理子さんを始め学者仲間も応援団だ。中央や福岡経済界の重鎮たちも、蒲島さんを尊敬し応援している。

もちろん、地方行政での経験はこれから積み上げるわけだから、もし当選しても知事1年生としてのスタートだ。5人の候補者の中には行政経験豊富な人もいる。しかし、知事は行政経験だけで決めるべきなのだろうか。むしろ、熊本を外から客観的にも見てきた人、大局を見誤らず、私利私欲のない清潔な人、人格・識見が優れていて尊敬に値する人、こんな人が知事となり、そのリーダシップの下、県民は誇りとやる気を取り戻していくのではないだろうか。これは県職員にとっても同じだ。

「でもやはり自民党が応援しているってところが気になる」という声も頂いている。当然だと思う。何故、自民党が蒲島さんを押し出したいと思い、蒲島さんもこれまで関わりのなかった自民党の応援も受けることにしたのかを考えてみたい。

戦後の高度経済成長期、自民党政権下、富は国民に分配されてきた。しかし新自由主義が台頭し、小泉政権が始まると徹底した自由競争という名の下、弱肉強食の格差社会が広がってきた。このことを苦々しく思っていたのは、地方の自民党自身だろう。彼らは、小泉政権前と同じような地方への配分が、そのまま復活するとは思ってはいないだろうが、国は血を流さないですむ“まやかしの地方分権”が進めば、地方は総破産してしまうという危機感を持っている。そこに小泉改革を批判し、地方の思いを組んでくれる蒲島郁夫という学者と巡り会ったのだ。それに何より、あの逆境の経歴は人の胸を打ち、希望の象徴となる。こんな郷土の誇りである知事が誕生すれば、きっと熊本はよみがえることができる・・・案外そんな素朴な思いだったのではないだろうか。

だからこそ、自民党が先に動き出したにせよ、自民党は民主党にも「一緒に応援して行こう」と応援を要請した。しかし結局は、民主党は衆議院選挙を前に、推薦候補として鎌倉氏への支援を明確にした。どうしてもマスコミはその対立の構図でこの知事選を追っているようだ。ちなみに後の3人の候補も同列で闘っているのに、最近の報道の「自・民」のクローズアップはいささか不平等だし、失礼な気もする。

さて蒲島郁夫さんを応援することにした私だが、衆議院選挙ではもちろん、与野党逆転を実現し、戦後の長く続いた自民党支配の政治の在り方を見直す必要があると思っている。政権交代に向けてしっかり取り組む。それなら「何故、知事選でも民主党の推薦候補を応援しないの?」という疑問を持つ県民の皆さんがいらっしゃるとしたら、それには「どの党が誰を応援しようが、知事選は政党で選ぶべきではなく、どの政党とも等距離で臨む知事が必要。無用な混乱や政党の対立を持ち込むほど今の県政に余裕はない。何より、知事に相応しい人物かどうかも重要」とお答えしている。

自民党も応援している候補が、政党との等距離を保てるかということだが、蒲島さんは恐らく自民党の抵抗もあっただろう公約をマニフェストで書き込んでいる。

・口利きや各種要望の文書化と情報公開
・特定の候補者の選挙運動には参加しない。
・国にもの申す知事となる。政党の枠にとらわれずに、県選出の国会議員と連携し、国に対して発言し続ける。

その他にもリベラルな知事を担保する公約が、マニフェストの中には書き込まれている。じっくり読んでいただきたい。マニフェストはこれまでと違い、県民との重い約束だ。

川辺川ダム問題については、中立の有識者会議で多角的に議論して6ヶ月後の9月県議会で結論を出すとしているが、ダム反対派の皆さんからはここが問題だと指摘されている。「既に議論は尽くされた。賛成、反対を言うべきだ」と。しかし潮谷知事も8年かけて、結局反対とは言えなかった難しい問題だ。知事選に出る準備をしてきた人ならともかく、突然の要請と決断だったことから、候補者である今、この問題に結論を出して、選挙戦に臨むことは、正直不誠実だと思ってのことだろう。

6ヶ月後の結論を、私は「ダムによらない川辺川の治水」と期待している。生態系への影響などの環境問題、県の財政問題、流域住民の生命安全の問題を考えた時、巨大なコンクリートの建造物が今の時代に認められはずがないという点を、私なりに訴えていきたいと思う。蒲島さんの教え子には、各省庁の官僚も大勢いる。それを理由に、「国交省のダム推進派」から影響を受けているという勝手な憶測を広げる人もいるようだが、むしろ「ダム建設」という“県沈滞への魔のスパイラル”に足を踏み込ませないよう、恩師である知事を支援しようという官僚もいる。

さて、マニフェストも一人を残しほぼ出揃った。蒲島さんのJC討論会向けの当初のマニフェストは東京のお弟子さんグループが起案していて、熊本県の実情が反映されていない点もあった。私たちも自民党も、県職員の給与への言及が厳しすぎる点など、「もう少し熊本の現状に沿ったマニフェスト」にというアドバイスをし、蒲島さんも納得の上、それらを反映した「最終版マニフェスト」が先週出された。数値目標は少なく、マニフェストとしては不十分かもしれないが、方向性は明確であり、随所にリベラルな政策も入っている。

私たち3人の行動にはいろいろ意見もあるだろう。しかし私は、8年前の県知事選と比べると、自分の意思で選挙応援ができることに、精神の自由を感じている。8年前は議員よりも政党よりも先に連合(の誰か?)が決めた阿曽田候補を応援することとなった。それまで私は阿曽田さんを全く知らなかった。対立候補は、副知事だった潮谷候補。多くの女性たちは、女性である彼女を応援しない私に反感を持った。私としては、正直、どちらの候補への応援も乗り気ではなかったが、結局連合推薦議員として阿曽田氏を応援し、女性たちの矢のような攻撃を受け、その後1年ほどは精神的にかなり参っていた。

あの時の経験が私に教えてくれたのは、「自分の政治的なスタンスに筋を通して行動することと、大局を見て判断すること、自分に忠実に行動すること」だ。今回の私の行動が正しいか間違っているかは、時間が経ってから判断されるだろう。それは甘んじて受けたいが、私自身が私を裏切るような政治的な行動はしないということだけは、今も今後も変わらない。

外は、春一番が吹き荒れているが、その後に、明るい光が差す熊本県になることを、心から期待し3月を乗り切っていきたいと思う。

2008年03月02日

訃報 白木力さん逝く

バリアフリーデザイン研究会の事務局長で建築家の白木力さんが、1日、55歳という若さで旅立たれた。あまりのショックで信じられない、信じたくない思いだ。

昨年後半から体調を崩されていて、月一回のバリアフリーデザイン研究会の例会も滞っていた。もともと肝臓が悪いとは聞いていたが、ガンは知らず知らずに白木さんの体を蝕んでいて、ガンとわかった時には既に深刻な状況だったそうだ。

昨年末には、ガンと付き合いながら、また一緒に活動できるまで快復して頂きたいと、祈るような思いで年末のご挨拶に伺ったが、ご本人は入院中だった。11月の祖母の葬式には、ご夫婦でお出でいただいたが、お会いしたのはその時が最後となった。

白木さんとのお付き合いは、私が障害を持ってからの第二の人生と、そのまま重なる。1989年のことだ。リハビリで入院していた病院のスタッフたちと、バリアフリーデザイン住宅の研究をなさっていて、退屈な入院生活の中、時々顔を出させていただいた。

その後、障害者運動に入っていき、ヒューマンネットワーク熊本を立ち上げてからも、常にバリアフリーデザイン研究会とは歩調を合わせ、情報交換しながら活動してきた。先見性を持ち、発想が豊かで、バランス感覚をお持ちだった白木さんがいらっしゃったからこそ、研究会が社会的にも認知される有意義な活動が出来てきたことは言うまでもない。

夫より先に知り合った白木さんとパートナーの悦子さんには、私たち夫婦の仲人も務めていただいた。当初、夫の家族の猛反対の中、やっと結納や結婚にこぎつけたときも、白木さんご夫婦は穏やかに微笑みながら、かたくなだった夫の両親に接し、和らげていただいた。(今では夫の両親は私たちの一番の応援団)

また、白木さんは私たちに大いなる遺産を残してくださった。白木さん設計による我が家だ。当時熊本県産材利用の試みがまだ始まっていなかった当時、宮崎県の諸塚村の杉の木100%で、科学物質無しの天然健康住宅を提案され、私たちも賛同して出来上がった。もちろん白木さんと私たちの工夫が入ったバリアフリー住宅だ。

白木さんの作品である我が家には、白木さんの魂が宿っている。私たちを守り続けてくれること、そして白木さんを感じながら生きていけることに感謝しつつ、尊敬する白木力さんのご冥福を心からお祈りしたい。

<白木力さん通夜・告別式>
通夜:3月3日(月)19:00~
告別式:3月4日(火)14:00~
会場:しらかわ 自然庵      
    熊本市黒髪2丁目37-32
(096-342-0983)
喪主:白木悦子さん(妻)

2008年03月01日

忘れられない卒業式

高校の卒業式に議長代理で挨拶に立った。母校の第一高校は、長く八浪県議の指定席だったので、10年議員をしているが、やっと2回目の挨拶となった。今年は、ちょっとエポックメーキングな卒業式となった。第一高校創立以来初めて、女性の高宗みさ子校長が昨年春誕生した。そして、同窓会長(清香会)も田中扶慈子さん、県教育委員会代表で委員の古荘文子さん、そして議長代理が私。実に、PTA会長以外は、皆女性だった。

私も会場に来て、初めてその揃い踏みに気が付いたので、挨拶の内容を急遽変更して、そのことに触れながら、例の国連開発計画の指標を紹介し挨拶を始めた。「HDI(人間開発指数:就学率、インフラ整備等)という指標は世界4位ですが、GEM(ジェンダー・エンパワメント指数:管理職や専門職にいる女性の割合。国会議員も)は世界48位の日本。今日は思いがけず、女性4人がその立場にいますが、時代を感じさせるし、第一高校だからそれが可能になったと思います。皆さんも、これから進学したり、就職し社会人となっていきます。ワーク・ライフ・バランスで仕事と家庭と自己実現のバランスを取りながら、後に続く人たちのためにも意思決定や責任ある立場にも勇気を持って入っていって欲しい」と挨拶し、議長挨拶を代読した。

先が見えない時代、今の行き詰まった社会ではあるが、改めて「男女共同参画」社会が着実に進み、働き方、生き方への新たな視点が入っていくことは、明るい未来を築くことにつながると確信を得た。

また答辞を読んだ生徒の言葉に共感を覚えた。奇遇にも、彼女は私と同じでコーラス部のアルトのパートリーダを務めていた。アルトというパートは、ソプラノやメゾが歌う主旋律に絡み合い、ハーモニーを作っていくパートだ。私はカラオケでも人が歌っているとどうしてもコーラスのパートを探りながら歌ってしまったり、CDを聴いていてもコーラスのパートを口ずさんでしまう。これは一種のサガなのだろう。

ハーモニーを作るということは、きちんと旋律を捉えながら、持ち場としての複旋律を責任を持って歌い、全体の調和を考えながら、音量や絡み合いを調整していく作業だ。ハーモニーが生まれる瞬間を支える快感は例えようがない。社会の中には、目立つこと、注目を浴びることが好きな人もいるだろう。しかし、私がどうしてもこれが苦手なのは、長年のアルト人生の方が合っているからかもしれない。そしてアルトを受け持つ人の存在無しに、社会の調和は生まれない。答辞を読んだ卒業生は、アルトで学び感じたそんな経験を語ってくれた。

卒業式はどこの学校でもいつも感動をもらうが、今年の第一高校の卒業式は忘れられない卒業式となった。


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