「保守」ってなんだ?! [みどり日記]
ここ数日、「保守って何?」と考え中だ。もちろん、参院選候補者選考で争点となった「保守層を取り込める」候補云々についてだ。私は保守層を取り込めない、いわゆる「革新」系とされたことに、傾げた首が元に戻らず、今に至っている。
私は、車いすの当事者で、アメリカから帰ってきた、当事者主権を主張する変わった障害者リーダーの一人として、1997年に県議補選を経て県議会議員となった。当時のアメリカは、ちょうどADA法(障害を持つアメリカ人方:米国差別禁止法)が制定されたばかりで、その直前の大統領選では、障害者運動団体が、民主・共和両党に仲間を送り込み、深くコミットして、どちらが政権をとってもこの法律を可決させようとしたという経緯があった。社会には、政治勢力を超えて実現しなければならないものがあり、それをどのように実現するかを、私はアメリカで学んだ。
アメリカ滞在中も、帰国後も、私自身が、政治家になるなど想像もしなかったが、県議補選の話をいただいた時、頭に刷り込まれてきた「Be political !」の一つの手法として、目の前にある政策を実現する場に入っていく挑戦は、避けて通れないと思った。だから、私にとっての政治は、弱い立場の人でも、どんな条件を持つ人でも、人として生きられる社会の実現であって、党派やイデオロギーに左右されるものではないし、私はそんな政治姿勢を貫いてきたつもりだ。そこには、保守とか革新とかのカテゴリー化が介在する余地はない。
当事者になる以前の55体年制下では、学生時代を通して、歴史や枠組みは学んでいたが、学生運動は、もはやかすかな灯び程度であり、私は自ら関わったことはなかった。ただ、子どもの頃から、戦争の悲惨な体験を多くの大人から聞き、戦後の復興期から高度経済成長期に育ってきた経験から、この国を戦禍から守ってきた平和憲法は世界に誇れる宝だと思っている。そんな思いを共有する仲間とは、これからも連帯していきたい。
平和憲法を大事にすることを「革新」とするのなら、その政治センスは疑わしい。今や、55体制は崩壊した21世紀だ。私の支持者の中にも、いわゆる「保守」層の人たちもおられるが、この方々もまた、戦争のない世界を大切にしておられるし、素朴な元来の伝統や文化を大事にしつつ、それらが、戦争へと国を進ませようとする政治勢力に利用されることは好まないはずだ。だから、「保守」だの、「革新」だのという言葉を用いて、あたかも政治勢力や支持者が二分されているかのような認識は、時代錯誤であり恥ずかしい。
よくよく考えれば、幸山市長選や蒲島県知事選を通して、私はいやゆる「保守」層の有権者との接点は経験済みで、違和感を持たれたとは思っていない。それでも「保守を取り込めない」候補だとされることと、それが選考のポイントになることに、釈然としない思いだ。とにかく、「保守」に弱い、「革新」議員だのと、レッテルを貼られることは甚だ心外だ。
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さて、本日をもって2009年が終わります。大変お世話になりました。
本年は、日本の政治史の新しいページが開かれた年となりましたが、皆様の周辺に変化はありましたでしょうか。残念ながら、まだしばらくは厳しい時代が続くかもしれません。大転換後、様々な仕組みが変わっていきますが、それがすぐに安定とはならないようです。新政権に、指摘すべきはしっかり伝え、もうしばらく、見守っていく気持ちも必要かもしれません。
皆様にとって、2010年に希望の光が差しますことを、心からお祈りいたします。